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09.06
Sat
九州松浦の僧が都見物に上ぼります。
途中、宇佐八幡を勧請したいという石清水八幡宮に詣でます。
麓の野辺に咲く千草の中に一際色鮮やかに女郎花が咲き乱れています。
僧は仏に手向けようと、一本折り採ろうとします。
どこからともなくこの野の花守という老人が現れ僧を咎めます。
二人はこの女郎花を折り採ることの是非を和漢朗詠集や古今集、
後撰集などの歌を引いて歌争いをして、戯れた後老人の案内で八幡宮に詣でます。
僧が八幡宮の男山と女郎花との関わりについて尋ねると老人は今、
古歌を引いて戯れを言ったのは男山と女郎花とのことについてだったのではないかといい、
これも又女郎花と関わりがあるからと、男塚、女塚に案内します。
老人は、この塚は小野頼風という人とその妻の墓であるといい、
この墓の主は自分であるとほのめかして消え失せます。
僧は経を読み頼風夫婦のあとを弔います。
経に引かれて頼風夫婦の亡霊がありし日の姿で現れ塚のいわれを物語ります。
頼風の妻は都に住んでいました。
ある時、妻は男山の頼風のもとに行きます。
ふとした行き違いから頼風が心変わりしたと思いこみ、
放生川に身を投げます。頼風は泣く泣く遺骸を塚に築籠めます。
その塚から女郎花が生え出ました。
頼風は、その花に妻を偲び、その気持ちを憐れみ跡を追います。
二つの塚のいわれを語ると、にわかに狂乱となり、生前犯した
邪婬の悪業のため地獄の鬼に責められるさまを見せ、僧に成仏を乞い消え失せます。

□この能の前場は三つの場面から成り立っています。
まず僧と花守の老人との女郎花をめぐる風流問答です。
和漢朗詠集や、古今集、後撰集などから多くの詩歌が引用されていて、この曲の詞章を流麗に美しく引き立てています。
本曲の成立以前に田楽新座の喜阿弥の謡物「女郎花」があったことが
世阿弥の著作から知られていますが、その一部が現在するそうです。
この喜阿弥の「女郎花」と本曲の風流問答から類推すると
本曲の成立に大きなかかわりがあるものといわれています。
 次いで老人は僧を八幡宮に案内します。
八幡宮のたたずまいが美しい文章で謡われます。
次に男塚、女塚に案内し本曲の主人公、頼風のことが簡潔に語られます。
風流問答の場と八幡宮との場はそれぞれこの能の前場となり得る
量感を持っています。
つまり前場が二つ重なっている感じがあり多少煩雑感があるように思われます。

□後場は二つの場面から成っています。
シテ、小野頼風は妻と共に現れ、男塚、女塚の由来を語ります。
この能は人間の「業」を主題にした執心物と呼ばれるものに分類されています。
「善知」、「定家」など、殺生戒、邪淫戒を犯した者の物語です。
これら執心物の多くは後場で痩男、痩女の類の面をかけるのが常です。
地獄の責め苦に憔悴した風貌です。
本曲のシテ、小野頼風は若い男の面をかけた貴族の出で立ちです。
終曲部「あら閻浮恋しや」のあと「カケリ」(謡はなく囃子だけで舞う急調の 短い舞)は
通常、地獄の苦患のありさまですが、この能では心の高掲ほどのものを 意味します。
続く地獄の呵責はこの類の他の曲と比べ、ごく軽いものとなっています。
この能の前場の構成、後シテの出で立ち、扮装は他の類曲と大きな相異を みせています。

□小野頼風説話は、古今集の注釈書「古今和歌集序聞書三流抄」に
「男山の昔を思ひ出でて女郎花の一時をくねるにも、歌をひいてぞ慰めける」の
注釈としてこの説話があります。
内容は本曲の話とほぼ同じです。この「古今和歌集序聞三流抄」は本曲の他
「高砂」「難波」「井筒」などの世阿弥の能や「松虫」の本説になっているそうです。
本曲の成立以降の洋ですが、宗祗の門人月村斉宗碩が編んだという「連歌」の辞書
「和歌藻塩草」の第八草部に「古今の序に云う」としてこの頼風説話が見えます。

☆おみなめし(オミナエシ)は、山地の草原に普通に生えている多年草です。
8月から10月に黄色い小花がたくさん集まって咲き、風情は本曲のとおりです。
万葉の時代から秋の七草の一つに数えられ、万葉集、十数首古今集に二十首ほど
詠まれているそうです。 万葉集では「娘子部四」又は「美人部子」など、古今では「女郎花」
(読みはいずれもオミナヘシ)で古今の時代に賴風説話が生まれたのでしょうか。
姿に似ず悪臭があり、それ故漢名は「敗醤」と、あまりにかわいそうです。 同属に白花の「オトコエシ」があります。
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