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08.15
Wed
琵琶の名手、藤原師長は琵琶の奥義を極め更に奥を極めようと入唐を志し、その名残にと月の名所、須磨を訪れる。
師長の前に塩汲みの老夫妻が現れ須磨の浦の美景を称賛し塩を汲み我が家に入る。
師長主従は老夫婦に宿を借りる。
従者は老夫婦に、師長は琵琶の名手で神泉苑の雨乞いに琵琶の秘曲を弾じ、竜神は師長の琵琶に感じ大雨を降らせた。これほどの程の琵琶の堪能であると老夫婦に語る。
老夫婦は琵琶をぜひ聞きたいと所望する。師長は源氏物語、須磨の巻の一節を謡い琵琶を弾ずる。折から村雨が降り板庇を叩き、師長は琵琶の弾く手を止める。
板庇を叩く雨音が琵琶の音程より高く演奏の妨げになったからだった。
老夫婦は菅や茅で編んだ苫を取り出し板庇を葺く。雨の音は琵琶の調子に戻った。
驚いた師長は琵琶に精通している人だと確信、老人の調べを聞きたいと琵琶を渡す。
老人の琵琶の調べに合わせて姥も琴を弾く。その調べに感涙もこぼれ、嬰児も踊り出す程の感動であった。
師長は更なる琵琶の奥義を極めんと入唐を志したが、我が日の本にもこのような堪能がいたのだと我が身の浅はかさを悟り入唐を断念、老夫婦の名を問う。
老夫婦は村上天皇と梨壺の女御夫妻であるとの乗り、師長の入唐を止めようと現れたのだと消えうせる。

師長の下人(又は竜神の眷属)が現れ前場のあらましや、絃上、青山、獅子丸、三面の名器の琵琶のいわれを語る。

ノリのよい囃に乗って村上の天皇がその優雅な姿を現わして名乗り、漫々たる海上に向かい、竜神に「獅子丸」を持参するよう命ずる。琵琶の名器「獅子丸」は大唐から伝えられた琵琶の名器だったが持ち帰る途中、龍神を鎮めるため海に沈めた琵琶だった。
急調の囃に乗って龍神が琵琶を携えて現れ、師長に渡し師長は獅子丸を弾ずる。
八大龍王も管弦の役を勤め波も鼓を打つ。
村上天皇は興に乗り典雅な舞を舞い、飛行の車に乗り八大龍馬に引かせ師長も馬上に琵琶を携え帰洛の途に就く。


師長が琵琶を弾じつつ謡う「恋詫びて泣く音にまごう浦波は思う方より風や吹くらん」は源氏物語「須磨の巻」の源氏の歌で、源氏がこの須磨の浦に配流され都の恋する人を偲んだ歌だという。琵琶歌に擬して独特の技法で謡い、老人夫婦が語る須磨の寂びた情景に琵琶歌の艶が溶け込んでいく。

後場は切り能としてのスピード感と爽快さがある。村上天皇が舞う「早舞」は天皇や殿上人、成仏した女性の霊が舞うまいで爽快、典雅な舞とする。

藤原師長
14歳で大納言、中納言に次ぐ要職、参議に任命された程の傑物だったという。
太政大臣に登り詰め平清盛と対立、清盛によって尾張国井戸田に流される。
罪なくして流されたのだからと鳴海潟の絶景を眺め琵琶を弾き、歌を詠み悠々の日々を送った。熱田明神で琵琶を弾きその妙音に明神も感応、宝殿しきりに振動したと平家物語、巻第三「大臣流罪」にあるという。

村上天皇 
平安中期の天皇。藤原氏の摂関を止め、親政を行い政治改革を行なった。天暦の治といわれた。和歌をよくし「後撰集」を編纂させたという。
琵琶に長じ大唐の琵琶の博士、廉承武の亡霊に秘曲を授かったことが平家物語巻第七「青山の沙汰」にあるという。

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