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11.03
Mon

融(とおる)

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源融。嵯峨天皇皇子。陸奥の塩竃に憧れ、その致景を六条河原に造る。時は移り、荒れ果てた六条河原に融の亡霊は汐汲みの老人と現れ昔を懐かしむ。豊かな詩情の時が流れる。やがて融の亡霊は在りし日の優雅な姿で現れ、華やかだった日の遊舞を見せ月の都へ帰って行く。

田子を担げて旅僧のまえに現れた老人。塩竃の浦に出た月を眺め、過ぎ去った日々を思い、老の身に寒い汐汲み衣を嘆きます。僧は老人にこの辺りの人かと声をかけます。老人はこの辺りの汐汲みだと答えます。海辺でもないのに汐汲みとはと不思議がる僧に、ここは昔、源融大臣が陸奥の塩竃の致景を写した六条河原の院だという。折しも月が出、二人は荒れ果ててもなお残る籬が島に昔を偲びます。月影に浮かぶ山々の名を僧に教えたりするうちに老人は、秋の夜の長話にすっかり潮時を忘れていたと田子を担げ潮を汲むかと見えて潮曇りに紛れて消え失せる。

僧は磯の石を枕に融の大臣の出現を心待ちに眠りにつく。
やがて優雅に装った融の大臣が現れその昔、月下の籬が島に船を浮かべての華やかな遊舞のありさまを語り舞の袖をひるがえし颯爽と舞う。
やがて月も西に傾き夜明けも近く、融の大臣は月の都に帰っていく。

融の幽霊の老人は田子を担いで現れます。荒涼とした浦の景色を眺め感慨を述べ、疲れたと田子を下ろします。田子の扱いは難しい。観客の目は田子にあります。不自然だと観客の興味を削ぐ。頃は中秋、月下の塩竃の浦を眺め、来し方を想い汐衣が寒いと謡います。寒さより増して荒れ果てた浦の寂しさが襲います。
ワキの僧は「海辺にてもなきに。汐汲みとは誤りたるか尉殿」といい物語を引き出します。
老人は籬が島を教えます。籬が島は塩竃の沖にある小島、歌枕です。ここ河原の院の籬が島は池の築山。融はここで宴を催したのです。老人は昔を偲びます。しみじみとした空気がながれる。老人は河原の院の謂われを詳しく語る。

源融は平安中期、千二百年程前の実在の人物。邸宅、河原の院に塩竃の景色を写した庭園を造り毎日、大阪湾から海水を運び、塩を焼を焼かせ、煙を楽しんだといいます。アイ狂言は従事する人三千人と語ります。没後、宇多法皇に奉られ以後、規模があまりに大きく、さすがに相続する人もなく荒れ果てたと云います。源氏物語の夕顔が物の怪に取り殺された「何某の院」も此処。
今昔物語に、融の亡霊が河原の院に鬼の姿で現れた、とあるそうです。融は皇位継承の望みがあり、自分にもその資格があると発言して藤原基経に睨まれたと云います。河原の院を造って世の耳目を驚かせたのは皇位継承をめぐる争いに身の危険を感じ、難を避けためで、皇位継承の望みを捨てた事を基経に伝えるためだったともいいます。その恨みが鬼だったのだろうか。

老人はワキ僧に此処、河原の院から見える名所の山々や寺社を教えます。「名所教え」と称しています。音羽山、歌の中山、清閑寺、今熊野、稲荷山、藤の森、深草山、木幡山、伏見の竹田、淀、鳥羽、いずれも歌枕や名所。数ある[名所教]の中でも抜きん出ての多さです。秋の夜には付きものの月を処々に効果的に使い陶然とさせます。

「忘れて年を経しものを、また古に帰る波の」永い間冥界にあって忘れていたが再びこの塩竃に帰ってきたと謡い、融大臣(とおるのおとど)は貴公子の姿で颯爽と現れ遊舞の袖を翻します。
舞上げて僧と月にこと寄せての問答を楽しみ月の世界に帰って行きます。
「この光陰に誘われて月の都に入り給うよそおい。あら名残惜しの面影や、名残惜しの面影」と結ぶ。この句は追善の時手向けられます。
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