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08.26
Tue
酒呑童子。大江山に住む、こよなく酒を愛するという憎めない名の鬼です。
源頼光が勅命を受け山伏に姿を変え、討伐に向かいます。頼光は強力を先立て、童子の住み家を探らせます。強力は途中、川で血のついた衣を洗っている女に出会います。女は童子に掠われ、洗濯女になったのです。強力は女を仲介に頼光一行の宿を借ります。
童子は快く頼光一行を迎えます。自分の居場所を他人に教えないと、頼光の約束を得て安心した童子は酒宴を催し、我が身の上や、まわりの風物を題材に、即興の舞を舞い酔い伏します。
夜更け頼光一行は童子の寝室に乱入します。童子は身の丈、二丈(6m)の鬼に変身して襲いかかります。激闘の末、童子を討ち都へ凱旋します。

酒呑童子は稚児姿で登場します。わずかに鬼の化身の匂いと言えば手にした鹿背杖です。童話風な能と言われるのは、この出で立ちも一因でしょう。
この能ではアイの強力と洗濯女が活躍し和やかな雰囲気を作り出します。これも又童話風の一因でしょう。強力は女に、童子に宿を借りる仲介をさせ、ついには口説き落として都へ連れ帰ります。
この能の前場は恐ろしい場面の描写がありません。わずかに掠われた女が血の流れる川で血のついた着物を洗う画面だけで、これもアイ狂言が演ずるので怖くありません。
童話風とは言っても、頼光麾下の四天王、貞光、季武、綱、金時、の登場、童子の舞など迫力十分、見応え十分です。
後場、頼光達に襲われた童子が「情けなしとよ客僧達、偽りあらじといいつるに」と叫びます。五番目、鬼の能は人に仇をなすばかりの殺されて当たり前の鬼達ですが、この童子の叫びがひと味違った能にしています。

五番目物のサービスも怠りません。キリの終わりに頼光を組み伏せた鬼、童子が下から頼光に刀で刺し通され仰向けに一畳台から下に落ちる豪快な大技を見せ最後を飾ります。

源頼光。平安中期の武将。宮廷の実力者に耳目を驚かす膨大な贈り物をしたこと、土蜘蛛退治、酒呑童子説話で有名、終生藤原道長の忠実な侍であったという。
大江山は京都の北西、丹後地方にある山。
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08.17
Sun
「放下」とは禅宗の言葉で、心身ともに一切の執着を捨て去ることだといいます。その僧が弟と、父の仇を討つ物語。僧は一切の執着を捨て仏に仕えなければならない。殺生戒犯すことは持っての外です。当然、兄の僧は仇討ちに反対でした。
父の仇を討とうと兄の僧を説得するため弟は兄に寺を訪れます。弟は親の敵を討って孝行をした例を語り仇討ちを迫ります。「唐土の話に、母を虎に喰い殺され、百日虎の住む野原に出て狙った。ある夕暮れ、虎に似た大石を虎と思い込み憤怒を込め、矢を放つ。矢は大石に突き刺さり血は溢れ流れた」孝行という二字に兄の僧は同意せざるを得なかったのです。兄弟は当時流行の放下に身をやつし敵討ちに出立します。
 敵の利根信俊はこのところ夢見が悪いと、瀬戸の三島に参詣を思い立ち従者を伴い旅立ち兄弟に遭遇します。信俊は兄弟との禅問答に打ち興じ、クセ舞、鞨鼓の舞、小唄の舞に油断を見せ、その隙を見計らい兄弟は信俊を討ちます。

“僧の敵討ち”興味ある題材の能です。仏に仕える僧が殺生戒を犯す、悲劇的でありまた悩み、苦しみが伴う筈です。これもまた一つのドラマになり得えます。これらは、敵討ちに赴く時の感慨を謡う一声や、仇、利根信俊との禅問答の中に包み込まれます。
この能は、この禅問答と、クセ舞、羯鼓の舞、小唄の舞、を見せることを主眼にした「遊狂」物に作られています。このクセ舞は禅僧の常用語の「柳は緑、花は紅のいろいろ」、つまり自然の風物、現象はすべて発心の姿であるとする禅のあり方をクセ舞に作っています。
 敵討ちは、討たれる側も心の負担を背負っています。これは討つ側よりも永い間の心の負担です。敵、利根信俊が兄弟との禅問答に扇で顔を隠して臨むのも、正体を見破られるのを恐れるだけではないでしょう。その心の負担をあらわしているのかのようにも見えます。

放下は「放家」とも言い中世から近世に、巷間で行われた芸能。手品や曲芸、小切子を摺り、小唄を歌い八バチを打ち鞨鼓を打った。僧形が多く僧形ながら烏帽子をつけ笹を背負うなど異形の姿だったといいます。この能に登場する小唄「花の都」は室町時代の小唄集「閑吟集」に採られています。
放下は民俗芸能として今でも愛知県一円に残っています。大きな団扇も背負い烈しく踊り時代を映すようです。

瀬戸神社は横浜市金沢区瀬戸、京浜急行、金沢八景駅近くにあります。境内に「放下僧仇討ちの旧跡」の案内板があります。手前の駅、金沢文庫には能「六浦」の称名寺があり、その隣には鎌倉時代の私設図書館、和漢の書籍数万巻を収めたという「金沢文庫」があります。
08.10
Sun
横佩の右大臣、藤原豊成は人の讒言を信じ我が子、中将姫を雲雀山の山中で殺すよう臣下に命じます。さすがに臣下は主君の姫を殺すに忍びず仮の小屋を建て匿います。
姫の乳母、侍従は季節の木々の花、草花を採り里に出て、行き来の人にこれを売って姫を養っています。
横佩の右大臣豊成は、供や勢子を引き連れ雲雀山に狩にやって来て麓で休息しています。乳母の侍従は客寄せに狂女を装い、花に纏わる歌をうたい、舞い狂い豊成の臣下に花を勧めます。豊成の臣下に花を買ってもらった乳母の侍従は臣下の勧めに雲雀山での来し方、中将姫の悲しい境遇を語り舞います。
右大臣豊成は狂女が乳母の侍従であることに気づきます。豊成は乳母、侍従が姫を雲雀山の谷陰に匿っているという噂を思い出し姫の所在を尋ねます。乳母は右大臣を信じません。右大臣の涙に乳母は草で造った小屋に右大臣を案内します。再会をはたした親子は八重桜の咲き誇る奈良の都に帰っていきます。

この能は中将姫の物語。中将姫は伝説上の人物とも言うようですが昔はかなり親しまれた人のようです。その一つが奈良、二上山の麓にある当麻寺。この寺の国宝、当麻曼荼羅は中将姫が蓮の茎の糸で一夜のうちに織ったといいます。この当麻寺伝説は能「当麻」につくられています。
 中将姫は竹の作り物の中に入って登場します。この粗末な小屋は哀れな中将姫の境遇を表します。中将姫は子方が勤めます。「げにや寒窓に煙り絶えて春の日いとど暮らし難う」と謡い、続いてシテと同吟で「貧しい身には親しい人も知り合いも遠ざかる」という意味の詩をうたいます。この詩は室町時代の小唄集、「閑吟集」に採られているといいよく知られた詩だったのでしょう。姫の、幼くも健気な姿がいとおしい。この姫を残してシテ侍従は花売りに小屋を出て行き前場を終わります。
 
豊成一行が登場します。アイが三人で犬と鷹を使い雉を狩ります。春の雲雀山の、今から始まるドラマの舞台を作ります。

シテ侍従は片袖を脱いだ狂女の姿で現れ、主君中将姫のために尽くすのだと述べ狂乱の舞「カケリ」を舞います。シテの狂乱は他の「狂い物」とは趣がかなり違います。狂乱の文言もありません。人の目を引くためと、野山の花を売る方便に思われます。
このシテには男のような気骨さえ感じられます。女手一つで姫を養わなければなりません。
豊成の従者に「この花を売ることは何か事情でもあるのか」と聞かれ「うるさい事を聞きますね。買わなければそれもご勝手です」と切り返します。

花を買って貰った豊成の従者に促され、来し方を謡うクセだけでなく、要所に古今和歌集などの詩歌をちりばめた詞章が、少々硬質ながら魅力です。クセの後に舞う「中の舞」は姫の行く末を思う舞でしょうか。他の狂女物には少なく「班女」など数例です。この曲は「中の舞」の後、「雲雀山にや待ち給うらん」と待ちわびる姫を思う心を急調に謡い留め、引き締めます。

雲雀山から救い出された中将姫は間もなく当麻寺に籠もり生涯仏につかえたといいます。
雲雀山は現在、和歌山県有田郡に雲雀山得生寺、奈良県宇陀郡に日張山青蓮寺があり今もご当地争いが続いているそうです。
08.02
Sat
歌人、藤原俊成の家人が、俊成の死後出家して後、須磨の浦を訪れ、平忠度の亡き跡のしるしにと植えられた「若木の櫻」を訪れます。老人が現れ若木の櫻に花を手向けます。僧は老人と言葉を交わし一夜の宿を頼みます。老人は平忠度の歌「行き暮れて木の下蔭を宿とせば花や今宵の主ならまし」の歌をひいて、この木の下ほどの宿はあるまいとすすめ、じつはお僧に弔って貰うため、ここに現れたのだと言い残し消え失せます。
僧一行は、若木の櫻の下で旅寝をします。
夜更け甲冑姿に、短冊を付けた矢を負った忠度の霊が現れ、僧に勅撰集である、千載集に入集したが、朝敵ゆえに詠み人知らずとなった無念を語り、これが妄執の第一だと訴えます。文武二道に秀でた忠度は自身の最後、岡部六弥太との壮絶な一騎打ちをみせ、また文人としての覚悟の歌「行き暮れて木の下蔭を宿とせば」の歌の心を見せ、花がつまりは根に帰るように、私もあの世に帰るのだと回向を頼みます。

数年まえNHKの大河ドラマに“むくつけ”な忠度が登場し仰天。ドラマは熊野育ちの屈強、大力の早業で聞こえた忠度像なのでしょう。こちらは優雅な歌人の姿を想像していたので驚きました。いまや能はマイナーな芸能。大げさかもしれないが、世は殺伐とした世相、“むくつけ”な忠度の方が受け入れられるのでしょう。
忠度は平の清盛の末弟。伊勢平氏の本拠、伊勢で育ったといいます。大力、屈強の早業で知られた武将。歌人としても知られ藤原俊成に師事しました。千載集、新勅撰集、玉葉集などに入集した名うての歌人だったといいます。
 
能「忠度」は和歌への執心を描いた作品。人の「たましい」は、魂魄、つまり魂と魄、二つあるといいます。人が死ぬと魂は、あの世に旅立つが、魄は四十九日の間この世にとどまり「草葉の陰」などで、この世に残した執心を精算するといいます。能では四十九日の法要がすんでもこの世にさまよい出る幽霊を主題にしたものが多く、「忠度」もその一つです。多くは嫉妬や恨みですが「忠度」は和歌への執心で他にない優雅で、異質な執心です。

この能のキーワードは「櫻」。前場は櫻一色の春ののどけさと、古戦場の想い出が重なり合い、ゆかしい空気が流れます。
「さざ波や、志賀の都は荒れにしを、昔ながらの山桜かな」この忠度の歌が千載集に入集しても朝敵故に「詠み人知らず」でした。また「行き暮れて、木の下蔭を宿とせば、花や今宵の主ならまし」と書いた短冊を、えびら(矢を入れて背負う道具)に結び付けて一ノ谷の合戦に臨みます。花はもちろん櫻。この二首が執心となってこの世に彷徨い出たのです。
岡部六弥太に討たれる場面は生々しく凄惨ですが、修羅物につきものの修羅道の描写「カケリ」がないのも救いです。「花や今宵の主ならまし」と能は終わり、優雅な櫻の花のような忠度像がただよい残ります。


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