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06.07
Sun
信濃の国の人、安田の庄司友春は従兄弟の望月秋長と口論の末討たれ、一族郎党は離散してしまいました。
友春の家臣、小沢経部友房は当時都にいましたが、このことを聞き急ぎ本国へ帰ろうとしたがその途次、敵の秋長方が路次で狙っていると聞き、守山の宿に落ちとどまり甲屋という宿屋を営んでいました。
友春の妻は敵の手から逃れようと遺子花若を連れ、さすらいの旅をつづけこの甲屋にたどり着きます。友房は泊めた旅の母子が主君の妻子と知って身分を明かし、主従涙にくれます。

望月秋長は友春を討った科により領地を召し上げられ都で裁きを受けていましたが、すべて解決し本国へ帰ることになり、これも甲屋に投屋します。下人が口をすべらせ望月であると悟った友房は、天の与えた好機と敵討ちの手筈を相談します。
友春の妻をこの宿場ではやる盲御前に仕立て花若に手を引かせて望月の屋敷に出させ夜寒だからと酒をもてなし、母子は曽我兄弟の敵討ちの物語を謡います。
そして花若は羯鼓を打ち、友房は獅子を舞います。
つぎつぎと続く余興の面白さについ気を許し、酒の酔いに眠気がきたすきを見て
花若に合図を送り力を合わせて首尾よく望月を討ち取ります。

劇能はリアルな表現が目立ち、ともすれば能の様式から外れ、いわゆるお芝居になりやすいといわれます。
この曲の敵を討ち取る場面はワキの胸ぐらをつまみますが、刺すところはワキが残した笠を敵に見立てます。能の手法が生きているのです。
能の手法を堅持すれば、お芝居になる心配も少ないと思います。
能は主に武家に育てられた芸能でした。当然この望月の様な類の能は武士道とあいまって、
武士達の間でもてはやされたことでしょうし、これは今の世までも受けつが継がれているように思われます。
「獅子」は能の中では高位の芸域にあるものとして秘曲の扱いをしています。この二つは格調を重んじる演出となって、しばしば重苦しくなり過ぎるとの批判を受けることが多いようです。演者の苦心のしどころということでしょう。

この曲の曲拠はさだかではなく、当時の敵討ちの実話から創作したものと言われています。能の大成者世阿弥は「本説」つまり由緒正しい典拠、を力説しています。
和歌の「本歌取り」の技法のように作品内容がよく知られていてイメージ拡大するからでしょう。源氏物語、平家物語など多くの先行文芸が能の題材になりました。
一方本曲のように「本説」は希薄ですが「名曲」といわれる能も数多く作られ能の幅の広さ、奥行きの深さとなっています。

この曲の眼目となっている「獅子」は文殊菩薩が乗る霊獣獅子が牡丹の花に戯れ狂うさまを模したものです。
「石橋」「望月」「内外詣」の三曲があります。
「石橋」は霊獣獅子が現れ戯れ狂うのですが、望月、内外詣は宿の亭主、又は
神官が舞う余興、奉納です。したがって演技の上でかなりの違いがあります。
石橋では獅子口という面をつけますが、望月では赤頭に金扇二枚を合わせた
獅子頭をつけ緋縮緬の覆面をします。
終曲にシテがこの獅子頭をとると白鉢巻の敵討ち姿が現れ感動的です。

劇能の特徴の一つに節の無い語り「話し言葉」が多いと言われます。この曲のシテは節のある句を一句謡うだけで、あとは「語り」で押し通します。能の大きな要素「謡」と「舞」の一つが希薄になるということでが「語り」の緊迫で押し通し、能の表現の幅の広さをみせます。
演者は「語り」が単調にならないように「メリハリ」「暖急」を考え主君、ワキ、従者への応待など分別を考えなければならない、情緒一辺倒でも形になる鬘物にはない苦労があるといわれます。
たしかにこの曲の眼目は「獅子」でしょうが、主君を思う情愛、敵の動静に気を配り舞台の隅々まで注意を怠らず緊迫感を高めていなければならないと長老の芸談にあるように、演者にとってむしろ眼目は前半にあるように思われます。

曲中、友春の妻と子が謡う「曽我兄弟の敵討」は鎌倉初期にあった実話です。
領地争いに巻き込まれ討たれた父の敵、工藤祐経を藤の巻狩で討った曽我兄弟、五郎時致、十郎祐成の話です。
敵討という行為は、現代的に考えれば非人道的ではありますが人間の、特に日本人の心情に大きく訴えかけ感動をよび起こしてきました。「曽我物語」は一連の曽我物といわれて、能や歌舞伎、浄瑠璃などさまざまな芸能の題材となり上演されてきました。
「曽我物語」の成立以前には箱根伊豆山を根拠とし、熊野三所権現を諸国に勧進して歩いた盲御前によって語りひろげられ、語り継がれたということです。



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