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02.14
Sat
狂気と盲目。天皇の御子として生まれながら、数奇な運命を背負う姉弟。悲惨な境涯と深い姉弟愛をえがく。

醍醐天皇の皇子、蝉丸は生まれながらの盲目でした。帝は蝉丸を逢坂山に捨て、髪を下ろすよう勅命を下します。廷臣、清貫は蝉丸を逢坂山に伴ないながら、帝の無慈悲を嘆きます。蝉丸は、盲目に生まれたのは前世の行いが、拙なかったからで、この世でその償いを果たし、後世を助けるための親の深い慈悲だと清貫をさとします。清貫は蝉丸の髪をおろし、御衣を脱がせ、墨染めの衣を着せ、笠、杖を持たせます。蝉丸は和歌でのみ聞いた、これらの物を珍しがりながら庶民に落ちた身の境遇を嘆きます。   

近くに住む博雅の三位は身分のある人が捨て置かれていると聞き様子をみにきます。三位はあまりのいたわしさに、蝉丸のために藁屋を作り蝉丸に仕えることにします。

蝉丸の姉宮、逆髪は辺土遠境をさまよう狂人です。その姿は異様です。髪はその名のように逆立っています。子共達は宮の髪の「逆さま」見て笑います。宮は、お前達の身分で皇女の私を笑うとは、それこそ逆さまだといい、しかし「逆さま」は世の中の事象によくあることだと、例を上げて語り、物事には順と逆の二面があるのだ、狂気もまた人の一面だと洞察の深さを見せます。

逆髪は都をさまよい出ます。加茂川、白河を渡り粟田口を通り、松阪を登り、逢坂山に着きます。走井の水に写る我が姿を見て愕然とします。

粗末な藁屋から気品ある音色の琵琶の音が聞こえて来ます。
琵琶の主は蝉丸でした。二人は偶然の再会を喜び合います。逆髪は、世は末世ではあっても、少しの救いはあると云うのにと、二人の悲惨な境遇を嘆きます。

別れの時がきました。姉宮、逆髪は放浪の身ながら、まだ我が身を慰める術もあるが、盲目ゆえ粗末な小屋に止まらざるを得ない蝉丸を想い涙します。
蝉丸は姉宮逆髪のさらばと叫ぶ声が遠ざかり、消えるまで藁屋の軒に立ちつくします。

父帝に捨てられた蝉丸は、後の世を救うための父帝の深謀だと思いながらも「父帝には、捨てられて、かかる憂き世に逢坂の」と嘆き人間本来の姿を見せます。御衣も脱がされ清貫も去り雨露を凌ぐ物は笠のみと、美しい詞章が蝉丸の孤独と悲惨を謡い上げます。
蝉丸はツレですが盲目の皇子です。気品と心理描写の難しい役です。シテ逆髪の登場まで曲の半分近くを演じ、前シテの如きです。シテ登場後も重い役柄です。両シテと云われる所以です。

蝉丸の面(おもて)は蝉丸と呼び蝉丸にだけ使う専用面です。他にも「頼政」などの例があり特殊な性格の持ち主を表します。
 シテ逆髪は、登場からリズム感豊かに謡われる「道行き」と呼ばれる、都から逢坂山までの旅まで狂気です。逢坂山に着いてから、別れの終曲まで正気にかえっています。狂気と正気、二つをを際だたせて描きます。
クセでは蝉丸の粗末な藁屋が、昨日まで住んでいた王宮の「玉楼金殿」と対比して謡われ哀れを誘います。
昔は居クセ(シテは舞台の中央に座り舞わない)だったと云います。卓抜した詞章に惹かれて舞クセにしたでしょうか。江戸のある時期では「型」は無く「謡」だけだったといい、戦時中は皇子、皇女を盲、狂女に仕立てるのは「不敬」だと上演禁止だったといいます。
 
逆髪は実在の人物ではないようです。逢坂山に蝉丸を祀った関の明神があり、合祀の「坂神」の名から逆髪伝説が出来たと考えられるといいます。

蝉丸は平安中期頃の琵琶法師、歌人。生没、伝不詳といいます。今昔物語では宇多天皇の皇子、敦実親王の雑色といい、平家物語では醍醐天皇の皇子としています。平家琵琶法師の祖ともされ、この曲のアイ狂言として登場する廷臣、源博雅に秘曲を伝授したといいます。歌は後撰集、新古今集、続古今集、和漢朗詠集に採られており、小倉百人一首「これやこの、行くも帰るも別れては、知るも知らぬも逢坂の関」はよく知られています。
逆髪が耳を傾ける、藁屋から漏れる蝉丸の歌「世の中は、とにもかくにもありぬべし、宮も藁屋も果てしなければ」をこの曲ではとくに「琵琶歌」として演じ心得のある所といいます。
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