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02.14
Sat
源氏方、関東の荒武者、熊谷次郎直実は一ノ谷の合戦で十六才の平家方武将、平敦盛を討ち取ります。さすがの荒武者も十六才の少年の傷ましさに出家し蓮生と名乗り、敦盛の跡を弔おうと一ノ谷を訪れます。
岡の上から笛の音が聞こえてきます。笛の主は数人の草刈りの少年達でした。蓮生は、笛を吹くという優雅な業は賎しい草刈りにそぐはないと不審します。
少年達と蓮生は笛について問答します。 
やがて少年達は一人を残して帰って行きます。
残った少年は敦盛の亡霊でした。亡霊は蓮生に回向を頼み消え失せます。

須磨の浦の人が来て敦盛の最後を語ります。浦の人は、僧が熊谷直実、蓮生だと知り驚き供養を勧めます。
蓮生は夜を徹して懸命に敦盛の菩提を弔います。
やがて読経に引かれるように甲冑姿の敦盛の霊が現れ弔いを感謝し、一ノ谷に落ちて行った経緯や此処での生活を語り、涙を流します。
気を取り直し敦盛は最後の夜の、別れの宴の舞を舞い、熊谷直実に討たれた有様を見せ供養を頼み消え失せます。

前シテの敦盛は草刈り男で現れます。面は付けません。能の面には身分のない若い男の面がありません。
男達は挟み草を肩にしています。挟み草は刈り取った草です。「シンプルに象徴的に」が能の表現方法です。腰に扇、段ノシメを着ています。草刈り男は下賎の者ですが、扇、ノシメに貴公子、敦盛を臭わせます。
草刈り男達は身の境遇、草刈り、藻塩焚きのつらい生活を謡います。一族が須磨に落ち延び須磨人となって辛い日々を送ったことを暗示しているようにも聞こえます。
草刈り男と蓮生は笛問答をします。笛は敦盛が最後まで持っていた笛「小枝」をも暗示しているのでしょう。
蓮生の懸命の弔いに現れた敦盛の霊は甲冑姿の公達武者です。「頸をかかんと甲をおしあふのけて見れば、年十六七ばかりなるが、うす化粧してかねぐろ也」と平家物語は述べます。
「上にあっては下を悩まし、富んでは驕りを知らざるなり」と懺悔を述べ滅び行く者の哀れをクセ舞に舞います。
修羅物の能には武人が落ちる修羅道の苦しみで終わるものが多い。この曲は敦盛の最後が劇的に描かれます。
先ず最後の宴、敦盛の吹く笛は「小枝」でした。舞も公達に相応しい「黄涉早舞」です。

ワキが自分の名を名乗るのは身分のある人又は世に広く知られた人です。この曲では重きをなす人物であり敦盛を討った本人です。ワキ熊谷直実は名を名乗り敦盛を討った者だと告白します。討った者と討たれた者が向き合う因果を軸にドラマは展開します。
熊谷直実は涙を押さえて敦盛を討った。平家物語は「熊谷、あまりにいとほしく、いずくに刀をたつべしともおぼえず目もくれ心も消えはてて前後不覚におぼえけれども、さてしもあるべき事ならねば、なくなく頸をぞかいてンげる」と述べます。
直実は敦盛と同じ年頃の我が子、小次郎を思いやり、あまりのいとおしさに見逃そうとしたが後ろを見ると土肥、梶原など数十騎が駆け寄る姿が見え、仕方なく首を討ちました。
さらに平家物語は「あないとほし、このあかつき、城のうちにて管弦し給ひつるは、此の人々にておはしけり。当時みかたに、東国の勢なん万騎かあるらめども、いくさの陣へ笛持つ人はよもあらじ。上臈は猶もやさしかりけり、とて、、、、、これを見る人、涙を流さずといふ事なし」

平敦盛、一ノ谷の合戦で熊谷次郎直実に討たれました。満十五才でした。笛の名手で祖父の平忠盛が鳥羽院から授かった笛を持っていたといいます。平清盛の甥。兄に能「経正」に作られ、和歌にも秀でた平経正がいます。

熊谷次郎直実、生まれは武蔵國大里郡熊谷郷。戦功によって源頼朝から熊谷郷の地頭に任ぜられました。その後、所領の境界を争い訴訟したが敗れて逐電し出家して蓮生と名乗りました。出家のきっかけは敦盛を討った事にもあるといいます。

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