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01.25
Sun

野守(のもり)

カテゴリ:野守
*あらすじ
羽黒山の山伏が葛城参り、大峰入りをこころざし、春日野を通りかかると、謂われのありげな泉があります。来合わせた老人が謂われを教えます。
昔この春日野に鬼が住んでいた。昼は人となってこの野を守り夜は鬼にかえりこの塚に住んでいた。この野守は「野守の鏡」という鏡を持っていた。
古歌に「はし鷹の野守の鏡、得てしがな。思い思わずよそながら見ん(歌意:はし鷹の鏡が欲しいものだ。あの人がほんとうに思っているのかこっそり見たいので)」とあるのは、じつは、昔この野で帝が狩りをしたとき、鷹が逃げてしまった。野守の老人に鷹の行方を尋ねると、鷹は水の底にいると答えた。水底の鷹は水面に映った影で鷹は泉の上の木の枝にとまっていた。鷹の行方を教えた泉だから「はし鷹の野守の鏡」だと語ります。
山伏は老人に、この春日野の野守ならば、もしや鬼の鏡を持っているのではないか、その鏡が見たいというと、真の鬼の鏡を見ると恐れるだろう、水鏡を見なさいと塚に入ります。

山伏は塚の前で必死に祈ります。
山伏の法力に引かれるかのように鬼神の鏡を持った鬼神がその恐ろしい姿をあらわします。鬼神は東の降三世明王,南、西、北の各明王の姿を写して見せ、最高の天界、有頂天や地獄での罪人の呵責の有様をも見せ、大地を踏み破って奈落の底、地獄に帰っていきます。
 
*観賞のために
鬼は神代の昔から今の世まで、神仏と肩を並べるほど人々の暮らしに密着していて、色々な民話、説話、著作が残されています。
野守の鏡のことは、藤原清輔の歌論書「奥義抄」、源俊頼の「無名抄」、顕昭の「袖中抄」などにあるといいます。「袖中抄」には「奥義抄」、「無名抄」を引き合いに、かなり詳しい内容です。「はし鷹の野守の鏡」の話は狩を好んだ雄略天皇だとし、「無名抄」では天智天皇とします。
「野守の鏡」には二説の記述があります。「野守の鏡とは徐君が鏡なり。其鏡は人の心の内を照らせる鏡にて、いみじき鏡なれば世人こぞりて欲しがりけり。これ更に我が持ち遂げじと思いて塚の下に埋めてけりとぞ、匡房卿申しか。又或る抄云、野守の鏡とは野を守りける鬼の持ちたりける鏡なり。人の心の内を照らすいみじき鏡と聞きて国王の召すに鬼、惜しみ申しければ、野を焼き払わんとし給いける時に、国王に奉る鏡と、云々」
その外にも歌論集「綺語抄」「色葉和難集」に野守の鏡の記述があるといいます。

「奥義抄」に「飛ぶ火の野守」のことを「この野を飛ぶ火野と云うことは、昔は国々に早く聞かすべき事あれば所々に大いなる火を立てければ次第に見継ぎて是を立て置き遠き國にも一日のうちに知らせつるなり。その野を守る者を飛ぶ火の野守と云うなり。この飛ぶ火は唐より起これることなりと。日本記にみえたり。」とあります。

この曲の「野守」は一つの物語の「野守」であって、広くは狩り場を守る野守をさします。上古の禁裏では狩が盛んに行われたようです。
「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が手を振る」(額田王、万葉集)
「昔男、初冠して、春日の里に知るよしして狩に往にけり」(伊勢物語、初段)
あまりもよく知られた物語です。
標野(しめの)は天皇や貴族の狩り場で一般の狩猟が禁じられていました。禁野とも云いました。
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