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09.06
Sat

江口(えぐち)

カテゴリ:江口
西国修行に赴く都の僧が、江口の里に立ち寄ります。僧は西行法師の故事を思い出します。
西行法師が天王寺詣での途次、江口の里で、にわか雨に会い宿を乞うが断られ「世を捨て
出家するのは難しいことだろうが、わずか一夜の宿すら惜しみ執着することだ」。の歌意の
歌を詠みます。僧は昔を懐かしみ西行の歌を口ずさみます。何処からともなく女が現れ僧の口ずさみを咎め、此処は色好みの里です、出家の西行法師に宿を断ったのも当然ですと語り「あなたは世を厭って出家された人と聞きます。このような憂き世の、仮の宿に執着なさいますな、そう思うばかりです」の歌意の返歌を西行法師にしたと教え、私は西行法師に宿を断った江口の君の幽霊だと名乗り姿を消します。

僧は江口の里人に江口の君の話を聞きます。
「播州の性空上人が生身の普賢菩薩を拝みたいと観世音に祈願したところ江口の里の長を見よという霊夢を得た。上人が江口の里を訪れると江口の君は十人の女房達と船遊びをしていた。上人が瞑目すると江口の君は普賢菩薩となって現れた。目を開けると江口の君となった。上人は又目を閉じた」

僧達は江口の君の供養をします。やがて河面を渡り遊女達が歌う船遊びの歌が聞こえてきます。僧の呼び掛けに船を下りた遊女は江口の君でした。
 江口の君は人の世の輪廻を説きます。
「前世の前には又前世があり来世の後には又来世があり果てしなく流転を続ける。人は容易にはあり得ない人間界に生まれながらも煩悩に迷い、道理を誤り、悟りの元を作ることができない。紅に咲く春の花も金色の秋の紅葉もいつかは散り果てる。親しい友も、枕を並べた二人も離別の日がくる。愛欲に執着し六根の罪を作ることは、聞く事、見ることから起こるのだ」
 江口の君は静に解脱の舞を舞います。
煩悩を解脱すれば六欲(六根から生まれる欲望)の風は吹かないのだと説き、その身は普賢菩薩と変じ西の空に去っていきます。

幽玄の情趣最も豊かな、さらに優艶典雅、高い品位の曲だという。幽玄とは、辞書に「奥深く微妙で容易に計り知れないこと。あじわいの深いこと。情趣に富むこと。さらに上品でやさしく優雅なこと」とあります。
曲趣から見るとこの曲は仏教色にうずまって、幽玄の情趣にほど遠い内容の曲に思えます。前場は類曲とさしたる変わりはありませんが、後場に類曲と大いに違う、この曲独特の心髄を見せます。江口の君は遊女です。遊女という社会の底辺に生きる身の上を嘆き悲しみ、仏の救済願う、または欲望からの解脱を願う形にはしません。江口の君は普賢菩薩の化身だからです。遊女の姿で仏の道をときます。
江口の君の登場は船遊びの歌に始まり輪廻転生、人の世の無常を説く仏説につながります。
不連続線なく無理なく、宗教音楽をきくようです。信心深い往時の人は法悦の世界に入った事でしょう。
遊女が普賢菩薩となったという突飛な話は西行の著とされる「撰集抄」や「故事談」、「十訓抄」にあるといいといい、この曲の出典になっています。善悪不二、迷悟帰一、凡聖不二などの仏教の教えの類でしょうか。

性空上人は都で時の天皇、衆人の崇敬を集めた高僧でしたがこれが煩わしいと姫路の書写山に逃げたといいます。書写山円教寺の開山。一条天皇妃、彰子は性空を慕い和泉式部を供に書写山に行ったが性空はこれを嫌い居留守を決め込んだといいます。権力を嫌ったといいます。

西行法師は俵藤太藤原秀郷八世の孫。紀伊に所領を持つ富者。佐藤を名乗り、名は憲清。北面の武士のころ平清盛と親交があったといいます。二十三歳で出家し周囲を驚かしました。出家のさい取り縋る幼い娘を縁側から蹴落としたというが信じ難い。崇徳上皇に歌才を磨かれました。出家の動機は失恋説もあるが歌道に専念するためであったとする説が有力。歌枕に憧れ奥州を旅し同族の藤原秀衡を訪ね、高野山に庵を結び、ここを根城に大峰修行をし、讃岐に流され憤死した崇徳上皇の墓に詣でた事は能「松山天狗」に作られています。源平の戦いでは、二見浦に草庵を結び、高見の見物を決め込みました。奥州の旅から四年後、東大寺の僧、重源に頼まれ再び平泉を訪ね大仏塗金のための金、四百五十両を勧進した。
西行は多くの人に慕われた大詩人でした。松尾芭蕉は西行の跡を慕い「奥の細道」を旅しました。「新古今集」に最多の九十六首入集、家集「山家集」などに二千百余首が知られているといいます。長生きで七十四才寂。

遊女の里は、大阪湾にそそぐ淀川と神崎川にはさまれた中洲状のところにあった。ここは淀川を、のぼり下りする水上交通の要衝。九州、瀬戸内海沿岸の人や物資を都や沿岸に運んだという。

四条畷市に兄を見舞いに行った電車の窓から、麓から山の中腹まで櫻の帯が這い上がっていた。嬉しくなって訪ねたら野崎観音だった。一条天皇の時江口の君が建てた。商人の守り神だという。野崎参りは昔は盛んで麓の運河はお参りの客の屋形船で賑わった。戦前、演歌にも作られ、浄瑠璃にもあるという。江口の君は人々に親しい存在だったのだろう。


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