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08.17
Sun
「放下」とは禅宗の言葉で、心身ともに一切の執着を捨て去ることだといいます。その僧が弟と、父の仇を討つ物語。僧は一切の執着を捨て仏に仕えなければならない。殺生戒犯すことは持っての外です。当然、兄の僧は仇討ちに反対でした。
父の仇を討とうと兄の僧を説得するため弟は兄に寺を訪れます。弟は親の敵を討って孝行をした例を語り仇討ちを迫ります。「唐土の話に、母を虎に喰い殺され、百日虎の住む野原に出て狙った。ある夕暮れ、虎に似た大石を虎と思い込み憤怒を込め、矢を放つ。矢は大石に突き刺さり血は溢れ流れた」孝行という二字に兄の僧は同意せざるを得なかったのです。兄弟は当時流行の放下に身をやつし敵討ちに出立します。
 敵の利根信俊はこのところ夢見が悪いと、瀬戸の三島に参詣を思い立ち従者を伴い旅立ち兄弟に遭遇します。信俊は兄弟との禅問答に打ち興じ、クセ舞、鞨鼓の舞、小唄の舞に油断を見せ、その隙を見計らい兄弟は信俊を討ちます。

“僧の敵討ち”興味ある題材の能です。仏に仕える僧が殺生戒を犯す、悲劇的でありまた悩み、苦しみが伴う筈です。これもまた一つのドラマになり得えます。これらは、敵討ちに赴く時の感慨を謡う一声や、仇、利根信俊との禅問答の中に包み込まれます。
この能は、この禅問答と、クセ舞、羯鼓の舞、小唄の舞、を見せることを主眼にした「遊狂」物に作られています。このクセ舞は禅僧の常用語の「柳は緑、花は紅のいろいろ」、つまり自然の風物、現象はすべて発心の姿であるとする禅のあり方をクセ舞に作っています。
 敵討ちは、討たれる側も心の負担を背負っています。これは討つ側よりも永い間の心の負担です。敵、利根信俊が兄弟との禅問答に扇で顔を隠して臨むのも、正体を見破られるのを恐れるだけではないでしょう。その心の負担をあらわしているのかのようにも見えます。

放下は「放家」とも言い中世から近世に、巷間で行われた芸能。手品や曲芸、小切子を摺り、小唄を歌い八バチを打ち鞨鼓を打った。僧形が多く僧形ながら烏帽子をつけ笹を背負うなど異形の姿だったといいます。この能に登場する小唄「花の都」は室町時代の小唄集「閑吟集」に採られています。
放下は民俗芸能として今でも愛知県一円に残っています。大きな団扇も背負い烈しく踊り時代を映すようです。

瀬戸神社は横浜市金沢区瀬戸、京浜急行、金沢八景駅近くにあります。境内に「放下僧仇討ちの旧跡」の案内板があります。手前の駅、金沢文庫には能「六浦」の称名寺があり、その隣には鎌倉時代の私設図書館、和漢の書籍数万巻を収めたという「金沢文庫」があります。
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