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01.14
Tue
東国の人買い人が日向の国で桜子という少年を買い取り、少年の頼みで代金と手紙を少年の母に届けます。
手紙には、このところの母の窮乏を見るに堪えず、我が身を売り、東へ下ると書いてあります。
母は驚き悲しみ狂気となり、桜子のあとを追い故郷をさまよい出でます。
時は移り、桜子は常陸国磯辺寺の稚児に入っています。
折しも見頃の桜狩りに師僧に伴われて、桜川に行きます。
桜子の母は三年の間、桜子を求めてさまよい歩いた末、子の名のついた桜川にやってきます。
すくい網を肩に、散りはじめた花を惜しみ、桜は木華開耶姫のご神木でもあり、我が子はその氏子で名も桜子だと謡い、桜川に散り浮く花を、いとおしみ掬い上げ舞い狂います。
僧は狂女が桜子の母であることを知り、母子を引き合わせます。親子は名乗り合い、相伴って故郷へ帰り、ともに仏門に入ります。

□シテは狂女の定番、狂笹(くるいささ)に代えて掬い網を肩に登場します。
掬い網は魚を獲る道具ですが、これで水面の桜の花びらを掬おうというのです。
カケリ以下の狂乱をこの網で舞い、「次第」で網に代えて扇を持ち、
狂乱がおさまった態で囃子だけの「イロヘ」で閑かに舞台を一巡し、
春の情景の「クセ」を舞います。
クセの終わりでシテの心情は昂揚し、再び網を持ち狂乱の「網ノ段」を舞います。
その場面にふさわしい、網と扇を使い分け、華やかな舞台を作ります。

□古今、新古今、後撰集、古今六帖などの歌がふんだんに取り入れられているのも
この曲の魅力の一つです。
また、他の狂女の能のように故事や仏説を云々するところがなく、
子を想う親の情愛が直接滲みてくる曲です。

□この能は、所の里人が登場し狂女を呼び出すワキツレがいるのが本来のようです。
ワキが「この物狂いの事にてありげに候」とあるのがこれで説明がつきます。
現在では割愛されています。

□桜川は筑波山の北、栃木県の県境から流れ出て河口、土浦、霞ヶ浦に注ぐ
全長百キロに満たない川です。
筑波山の北麓、真壁町から更に北の岩瀬町あたりまで山桜が多く
自然交配の品種も多様で、これらを桜川沿いに植え吉野に並ぶ名所として
都までも聞こえたといいます。
本曲にも「未だ見もせぬ常陸の国に名も桜川ありと聞きて」として紀貫之の歌が
謡われます。
岩瀬町の桜川公園を中心に「磯部の百色桜」と呼ぶ花の形や色、匂い、
さまざまの山桜が保存され、そのうち十一種が国の天然記念物に指定されているそうです。
磯辺寺は稲村神社の神宮寺でした。
神宮寺とは、神仏混淆で神社の附属としておかれた寺です。
明治政府の神仏分離政策で廃寺となったものも多く、磯辺寺もこの時廃寺になったといいます。
稲村神社にその跡があるそうです。
稲村神社囲辺は現在も桜の名所で近くの桜川べりは桜子師弟の花見の場所に設定するのに
格好の所です。このあたりは昔は真壁郡でした。
現在は桜川市。最寄り駅は水戸線羽黒駅又は岩瀬駅。

□能の狂女は、我が子や恋人を求めて旅をします。
狂女ならずとも能には旅の場面がとても多いです。
この「桜川」の狂女、「安宅」の義経主従は、長旅の双璧で他にダントツです。
義経主従は京都から平泉まで、桜子の母は筑紫国日向から桜川まで。
桜子の母の故郷は、筑紫国日向と設定されていますが筑紫に日向という所があったのでしょうか。
単に九州の代名詞でしょうか。
「我が故郷の御神をば木花開耶姫」とあり、神の国、日向国としてもいいかもしれません。
筑紫ならば義経主従とほぼ同じ道程、日向ならば断然桜子の母に軍配が上がります。
千キロを超す遙かな旅です。
□桜は菊とともに、わが国の国花です。
平安朝以来、花と言えば桜をさす程愛されてきました。
花だけではなく、栽培品種ですが「サクランボ」はその姿、味共に愛好されています。
桜が属するバラ科には、リンゴ、梨、桃、苺、梅、カリンなど、果物の種の多い科です。
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