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01.14
Tue

鉢木(はちのき)

カテゴリ:鉢木
僧の姿で諸国をまわり民情を視察していた鎌倉幕府の執権、最明寺時頼は、鎌倉へ帰る途中
上野国(群馬県)佐野で大雪にあい、あたりの民家に宿を頼みます。
主は一族に領地を奪われ零落した貧苦の武士、佐野源佐衛門常世。
一旦は宿を断るが、僧にも宿を貸せない身の上を嘆く妻を見て僧を呼び返します。
当時は、一僧一宿の功力、僧に一夜の宿を貸すことは、功徳を積むことであり、
後世を助けることだと信じられていました。
常世は、粟などと言うものは、歌や詩に作ったものを読んだものだが、今ではこの粗末な粟飯で
身命をついでいると僧に粟飯をすすめ、秘蔵の鉢の木を切り焚いてもてなします。
僧の求めに身分を明かした常世は落ちぶれてはいるが鎌倉に変事があれば一番に馳せ参じると、
幕府への忠誠心、武士の気骨を見せます。
一夜のもてなしに感じた僧は幕府への訴訟をすすめ鎌倉へ上ったならば必ず力になりましょうと言い残し
共に名残を惜しみます。
鎌倉に帰った時頼は常世の忠誠心を試すため諸国の軍勢を召集します。
痩馬に破れ具足、錆び長刀で馳せ参じた常世を時頼は賞揚し、本領を安堵、鉢の木の返報にと
切りくべた梅、桜、松に因み、梅田、桜井、松井田の三箇の庄を与えます。
演劇性の濃い作品群の中でも、この曲は見せ場の多い作品です。
「あ々降ったる雪かな」と大雪の中にたたずみ零落の身の嘆息、秘蔵の鉢の木を切る「薪の段」の鉢の木への愛着、
シテの心象風景描写は一級品です。
現在では遠い武士道、武士の気骨、痩馬にむち打ち鎌倉へ急ぐシテ、本領安堵に喜ぶシテの演出は大胆です。
見せ所ですが芝居に落ちる危険もあるといわれています。
□能は、シテ中心主義と言われます。
この曲のワキは、鎌倉幕府の最高権力者、最明寺時頼です。
自ずと威厳がそなわります。しばしばシテとワキの位取りが逆転します。
終曲近くでワキはシテに本領安堵の御教書を投げ与えます。
身分の格差をあらわしています。今は遠い武士道はさりながら、人情豊かな常世が、
それ故に時の権力者に見いだされる“アメリカン・ドリーム”が私達現代人には分かりやすいかもしれません。
□時頼が回国巡歴したことは鎌倉幕府の正史、吾妻鏡には出てこないので史実であるかは疑わしいといいます。
鎌倉時代百五十数年の事績をつづった歴史物語増鏡に時頼が回国したという物語があるそうです。
本曲の内容とは違う話のようです。
時頼は1263年36才の若さで生涯を閉じました。
時頼の時に北條氏の独裁制が確立したといわれています。波乱の生涯だったのでしょう。
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