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01.14
Tue
異様な雰囲気の能です。神道の覡(みこ)が、仏教の地獄に落ちる、 神仏習合がこの能の奇異さを倍加しています。
まずシテの扮装に驚かされます。直面(ひためん。面をかけない素顔。若い男の面をかけることもある)に白髪、しかも長髪です。
この男は地獄から生還し、その苦しみから白髪になったのです。
彼は、伊勢国、二見浦の覡でした。神に暇乞いをせず回国の旅に出たため神の怒にふれ急死し、三日後に生き返りました。
その間、地獄の苦しみを受けたのです。
その後、歌占(和歌を短冊に書いて引かせ、歌意によって占う)を なりわいにする神子となって回国をつづけ加賀の国(石川県)白山の麓にやってきます。
所の里人が、よく当たるという噂を聞き、父に生き別れたという子供を連れて占ってもらいに来ます。
里人には病気の父がいます。占には「北は黄に南は青く東、白。 西、紅に染色の山。」とありました。
歌は仏説にいう須弥山(しゅみせん)のようすをうたったものでした。
神子は須弥山について詳しく語り、この山は蘇命路ともいい、これは命の蘇る路と読め、父はすでに回復の道をたどっていると占います。
次に子供の占には「鶯の卵の中のほとどきず。己が父に似て己が父に似ず」と ありました。
鶯は、「おう」とも読み、これはすでに父に会っている占だと判じます。
然う斯うしているうちに神子は、この子供が我が子であることに気づき、 互いに名乗り合い、再会を喜びます。
里人は噂に聞いた神子の「地獄の曲舞」を所望します。
神子はこれを舞うと神がついて狂乱になるが、帰国の名残にと舞います。
この曲舞は、神子が神罰によって地獄に落ちた実際の体験を作ったものでした。
酸鼻を極めた凄惨な地獄の有様を再現していると俄かに神がつき、責め苦しめます。
白髪は逆立ち、玉の汗を流し、天に向かって叫び、地に倒れ伏し、舞い狂い、必死に神にお詫びを申し上げます。
やがて神はその身から離れ、神子は狂乱から覚めます。
神に許され、親子は連れだって故郷の伊勢の国へ帰っていきました。

怪異な世界を垣間見たい、体験したいという願望は誰にしもあります。
この能は、怪異の世界「地獄廻り」を眼目にしています。
シテ渡会家次も異様な雰囲気です。
家次は冥界と人との仲介者、覡です。
彼は案内、断りなしに出奔します。
親子再会の能は四番目、狂女物などに類曲が多く、親が子を尋ね、親の子に対する情愛を主題にしています。
この能は子が親を訪ねます。
他の能には例がありません。親子の情愛もごくあっさりと扱い人間臭を排しています。

和歌で吉凶を占う歌占は、中世に広く行われ「平治物語」「故事談」に見え又、伊勢の歌占は「甲子夜話」「伊勢参宮名所図絵」に見えるといいます。
この能の「地獄の曲舞」は「太平記、結城道随地獄事」「遁世逑懐抄」をもとに作られたようです。
曲舞は、鎌倉、室町時代に流行した歌舞で、観阿弥が始めて能に取り入れました。
曲舞は次第に始まり次第に終わるといい、この能では「月の夕べの浮雲は後の世の迷ひなるべし」の次第がクセの終わりに繰り返されます。
本曲の外数曲に曲舞が取り入れられています。
この様式は現在でも余音を残すための作文法としても用いられています。
当時の芸能の全貌をうかがい知ることは出来ませんが、曲舞の一部が能の中に残されていることは、観阿弥の手柄といわなければならないでしょう。
本曲もクセは「三難クセ」の一つとして知られています。

我々現代人には縁遠いものになりましたが、須弥山の様子が祥しく語られます。
難解な語句を連ね、かなりの長丁場であり、演者の苦労がしのばれるところですが、当時の人達には
厚い信仰の対象であり、理解も容易であったろうし、法悦に浸ったかも知れません。

須弥山は、妙高山ともいい、仏教の世界観です。
世界の中心に聳え立つ山で、海中にあり、海上、海中、それぞれ八万由旬、 都合十六万由旬(一由旬は三~四キロ)の高山で、頂には帝釈天の居城、喜見城があり、中腹には四方を守る四天王の居住地があります。
九山四海に囲まれ、その海中に四洲があり、その一つに我々人間が住む苦界、南膽部洲があります。
日、月、星の天体は須弥山の囲りを回っているとします。

この能の「クセ」には、今の我々には理解し難く、納得のいかない理不尽な記述があります。
「天仙尚し死苦の身なり況んや下劣、貧賎の報に於いてをや。などかその罪軽輕からん」
貧賎の者は貧賎故に仏戒を犯しその報いを受けるのは当然のことなのだ、というのです。
戒律の前には貧賎という弱者にも容赦はないのです。
重圧に苦しむ貧賎の叫びが聞こえてきます。
「阿漕」「善知鳥」のシテも、貧しさ故に殺生戒を犯し地獄に落ちました。

この能の地獄描写は生々しく、恵心僧都源信が著した「往生要集」をもとに描いたという聖衆来迎寺の地獄絵、
北野天神由縁起の地獄絵はよく知られていますが、 凄惨なこれらの絵を彷彿とさせます。

斬鎚地獄―臼に入れられ体を切り刻まれる。日々に殺され生かされを繰り返される。
        剣樹地獄―樹木がすべて剣で、剣の生えた山があり、この木に登らされると体の節々が裂け、
       剣の山に登らされると体がばらばらになる。
 石割地獄―両方の崖から大石が落ちてきて罪人を打ち砕く
 火盆地獄―頭に火焔を載せられる。体の節々から火が吹き出る。
 紅蓮地獄―極寒のため皮膚が裂けて血まみれとなり蓮の花のようになる。

これらの地獄を能の表現の許容範囲ぎりぎりに、活写します。 自分流に想定して、観能するのも一興でしょう。

この能のシテのように氏名を名乗るのは相応の身分の人です。
度会氏は伊勢の神官で、代々著名な神道家が輩出しました。 中でも鎌倉末期の度会家行の神学は、南朝を開いた
後醍醐天皇の建武新政運動の精神的な支えとなったといいます。
もともと度会は(渡会とも)古くから伊勢国の郡名で伊勢神宮の神郡(かみごおり)でした。伊勢神宮を、わたらいの斎宮、
わたらいの宮とも呼んだといいます。

この能の舞台「白山」は石川、岐阜両県にまたがる高山で富士、立山と日本三霊山の一つです。
伝説の山としても知られています。高山植物の名所で、種類も多く、ハクサンチドリ、ハクサンコザクラなど、この山の名を
冠した高山植物は少なくありません。
 昔はこの山で採取した、マイヅル草などを乾燥させて、白山の霊草、霊薬だと山伏達が売り歩いたといいます。
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