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01.14
Tue
□都の僧が、初瀬寺(奈良・長谷寺)に詣でます。
初瀬川の辺に来ると、急流を小舟に乗って遡って来る若い女性があります。
女性は、初瀬寺に詣でる者だと言い、僧を伴い、折しも色付き始めた初瀬山の木々を賞で御堂に参り、二本の杉に案内します。
僧は「二本の杉の立所をたずねずは」という古歌を思い出し、謂をたずねます。
女性はこの歌は右近が詠んだ歌だと教え、 昔、玉葛の内侍が筑紫から早舟で都に逃げ帰り、 寄る辺もなく心細い思いで初瀬に詣で、亡母の侍女、右近と邂逅したことなどを語り、 自分はその玉葛であるとほのめかして姿を消します。
― 中 入 ―
僧は玉葛の回向をします。
髪を振り乱して現れた玉葛の亡霊は、人を恋う執心が妄執となって迷うのだと その激しさを見せますが、やがて生前を懺悔し、長い迷いの夢から覚めたと見て僧の夢も覚めます。

□本曲は源氏物語、玉葛の巻に拠っています。
作者は金春襌竹。襌竹の作品は主題が確乎とせず、焦点が定まらない作品が多いと いわれます。本曲の物狂いも、何故の物狂いかはっきりしないといいます。
出典の源氏物語、玉葛の巻、夕顔の巻の中にカギがあるのかもしれません。

玉葛の半生は数奇でした。母夕顔も又薄幸な人でした。
父は頭の中将(後に内大臣)。
夕顔は中将の正妻、四の君の難を逃れて,五條あたりの小家に隠れ住んでしまいました。
光源氏は六條御息所のもとに通う途中、乳母の病気見舞いに立ち寄ります。
たまたま夕顔の宿は乳母の家の隣でした。
夕顔の宿に咲いていた夕顔の花が機縁で、源氏は夕顔のもとに通うようになります。(能、半蔀)
ある夜、源氏は夕顔を某の院に連れ出します。
ここは昔、源融(実在の人物、能,融)の屋敷跡で、荒れ果てていて物の怪が出ると 噂のあるところでした。
次の夜半、夕顔はこの物の怪に取り殺されてしまいます(又は六條御即所の生霊とも)。
夕顔の侍女、右近は忍び出た夕顔にただ一人伴われた手前、帰ることも出来ず源氏の妻、紫の上に仕えることになります。
玉葛の乳母は、手を尽くして夕顔を探しますが消息をつかむことができません。
たまたま夫が太宰少弐に任官し、四歳の玉葛を伴い筑紫に下向します。

玉葛はこの地で成人します。
少弐は任期を終えますが、病に倒れます。
死を予感した少弐は、自分が死んだら玉葛を上京させるよう遺言します。
玉葛は美しく成長し、求婚者も現れ始めます。中にも肥後国に絶大な勢力を持つ大夫監が求婚します。
乳母一家は、拒み続けますが拒みきれず、長男豊後介を中心に筑紫脱出を計ります。
響の灘などの難所を通り、恐怖の船旅を続け、ようやく都にたどり着きます。
一家はひとまず九条に仮住まいをします。これから先のことも解らないまま筑紫から同道した家人も離散し、いよいよ心細い日が続きます。
一家は豊後介の発案で初瀬詣を志します。
一方、右近も玉葛との再会を祈願するため初瀬詣しようと椿市に投宿します。
玉葛一行は、この宿で右近と劇的な邂逅をし、母夕顔の死を知ります。
その後源氏は、玉葛の存在を実父内大臣にも知らせず、実子として引き取り六条院に移し花散里を後見人にします。
豊後介は玉葛の家司となります。

前シテ(前場の主役)玉葛の霊は水棹を持って現れます。 初瀬川の激流を小舟で遡る態です。
幼い玉葛が乳母に伴われて筑紫へ下った記憶が「舟人も誰を恋うとか大島の」の源氏物語を引用して謡われます。
心の動揺でしょうか、また 初瀬川の激流は筑紫から逃げ帰る途中の響灘の恐怖などをも暗示しているように思われます。
ついで、右近と邂逅してお参りした長谷寺の御堂に行き二本の松を訪ね、クセ(曲の中心をなす)になります。
クセでは筑紫からの逃避行や、九条の仮住の心細い状況や、二本の杉での右近との邂逅などがこの曲の出典、源氏物語玉葛の巻の句をちりばめて語られます。
この三つの場面「御堂に参詣する」「二本の松を訪ねる」「クセ」の間の劇的展開、例えばワキ旅僧の求めに応じて、案内するとか、物語するとかが一切省略され混沌と語られます。シテの錯乱にも思われます。

後シテは唐織(衣装)の右肩を脱ぎかけ髪の一部を左肩から前に垂らして現れます。 狂女であることを示します。
前に垂らした髪は、曲中の「九十九髪」や「寝乱れ髪」をあらわしています。
面は、増女、又は十寸神(ますかみ)を使います。この面は、仙女、又は女神の面です。
他の狂女物では、その曲の役どころ、若い女性 中年の女、老女と普通の女面を使います。
この曲に限り、増女、十寸神を使うのは、この曲の「狂乱」の質の違いを主張するためでしょうか。

後シテの登場歌は「恋わたる身はそれならで玉葛」と謡い、源氏が初めて玉葛に会ったとき詠んだ歌を少し変えたものです。
このあと、柏木衛門督が玉葛に贈った歌や、玉葛が螢兵部卿に贈った歌が引用されますが これらは妄執となるべき程のことがらではなく、ただ妄執の烈しさ、深さをあらわす語句を連ねます。舞いも文意に合った激しい型(所作)を連ねます。
この曲の見所、聞き所です。
妄執からの解脱も簡単で「この妄執をひるがえす、心は眞如の玉葛」で しめくくります。かえって人の心を烈しく打つのでしょう。
古来、一調や仕舞など、好んで演ぜられるのも、それ故なのかもしれません。
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