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01.14
Tue
 源氏物語の巻名を連ねたやや長大な曲舞を眼目とした作品です。
曲舞は中程にシテの短い謡をはさんで前後二つに分かれているのが多いのですが
本曲はシテ謡二ヶ所、三つに分かれています。
二段クセと呼ばれています。この三番目物と呼ばれる作品は「序ノ舞」が舞われるのが普通ですが、
本曲と「大原御幸」の二曲には「序ノ舞」がありません。
クセの内容が希薄になるのをさけるためかも知れません。
「舞入り」の小書の時、「中ノ舞」にするのも同じ理由でしょう。

 安居院法印が石山寺、詣での道すがら志賀唐崎あたりに来かかると一人の女が法印を呼びとめます。
女は、源氏物語六十帖を書いたが光源氏の供養をしなかったために成仏できずにいるといい、
紫式部の亡霊であるとほのめかし、光源氏と自分の供養を頼み消え失せます。

  法印が供養していると夜半、紫の衣をまとった紫式部の霊が現われます。
そして布施の代りにと法印の手になる「源氏物語表白」を曲舞にして舞い、
紫式部の後の世の救済の回向を頼みます。
法印は、紫式部という人は石山寺の観世音であって、仮にこの世に現われて、
この世は夢の世であると人々に知らせるために源氏物語を書いたのだと悟ります。

□ 往生要集に、物語など架空の話を弄する者は、人の心を迷わし、妄語戒を犯すものとして
死後「大焦熱地獄」におちるとあります。
 中世の人々はそう信じていたのでしょう。
 鎌倉時代中期に藤原信実が著わしたとする「今物語」という説話集に源氏供養の段があります。

 「ある人の夢に、その正体もなきもの、影のやうなるが見えけるを、あれは何人ぞと尋ねれば、紫式部なり。
空言をのみ多くし集めて人の心を迷わす故に地獄におちて苦を受くる事いと耐え難し
源氏の物語の名を具して南無阿弥陀仏という歌を巻ごとに詠ませて我が苦しみを弔ひ結へ」というものです。

  ある人とはこの説話の著者信実の祖母で俊成の妻、美福門院加賀という人らしいといいます。
この人は源氏物語に耽溺し、地獄に堕ちたという紫式部を初めて供養したといいます。
 その後、読者も又同じ罪を犯した者として、
紫式部、読者すべてを救済する供養が行われるようになりました。
 また宮中でも源氏物語の巻名を詠み込む、または巻名を題にして歌を詠む催しが行われました。
 源氏の供養は当時頻繁に行われ、紫式部は方便としてこの物語を書いとし、
実は紫式部は観音菩薩の化身だったとする説が生まれました。

□ 本曲のクセは、鎌倉中期の人、安居院法印聖覚の手になる「源氏物語表白」を引用して作られています。

  源氏物語表白は源氏物語五十四帖の巻名を連ねた表白文です。
 本曲のクセは、そのうちの二十六帖を取り込んでいます。
 クセの冒頭に「そもそも桐壷の、夕べの煙速やかに法性の空に到り、
箒木の夜の言の葉は、ついに覚樹の花散りぬ」とあるように、
桐壷の巻から末摘花の巻まで「源氏物語表 白」をほぼそのまま引用しています。

「紅葉の賀」から終りの「舞の浮橋」までは、この「表白」を巧みに引用しながら
作者の創意を織り交ぜてつくられています。

表白とは、もともと法会のときの導師が法会の趣旨をしるした文のことをいいます。
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