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09.20
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雅な王朝絵巻。伊勢物語から。在原業平、二条后の恋を語る濃密なクセが見どころ。

□芦屋の里(兵庫県)の人、公光は幼い時から伊勢物語を愛読していました。
ある夜、公光は不思議な夢を見ます。
都、北山の雲林院の櫻の下に緋の袴(高貴な女性が着用する)を付けた女性と、束帯(中世の朝廷の公事の正装)をした男性たたずみ、伊勢物語を読んでいます。
近くにいた老人にたずねると、二人は二条の后と業平であると語るかと思うと
夢から覚めます。
 公光はあまりにありがたく本当のことのよう思われたので、雲林院をたずねます。
折しも櫻の名所、雲林院は花盛り、あまりの美しさに一枝手折ってしまいます。
いずくともなく老人が現れ、鳥の羽風、そよ風にも花が散るのではと気をもむのに、落花狼藉者、ととがめます。
公光は、花は貰うのも盗むのも風流心からだと云い、二人は花は折って楽しむもの、又、散る花を惜しむという二つの立場を古今集や和漢朗詠集を引き風流問答で争います。
結局、花を愛する心から生まれた争いだと共に都の春を賞でます。
 老人は公光に夢のことを聞き、その夢は業平があなたの心を感じ取り伊勢物語の秘事を授けようというのであろうから今夜はここで一夜を明かし、夢の続きを見なさい、とそれとなく業平の化身であるとほのめかして夕霞の中に消えていきます。
 北山のあたりに住む人が花見にやってきます。(アイ語り)
公光が老人のことをたずねると、北山の人は、業平のことや「伊勢物語」の作者について語り、その老人は業平の霊と思われるのでここに留まって奇特を待つようすすめます。
公光は花の散りかかる木の下で仮寝の夢を結びます。
やがて匂やかな大宮人、業平が現れ、伊勢物語の秘事を語り、業平と二条の后の恋の逃避行を語り、思ひ出の夜遊の曲を舞います。
やがて時も移り、公光は眠りから覚めました。業平の出現は公光の夢の中の物語でした。

□業平には花が似合うのでしょう。本曲は満開の櫻の中で展開されます。
芦屋の公光は雲林院の満開の櫻の下で老人と花の風流問答をし、桜の散りしきる木の下で「又寝の夢」を待ち、夢に現れた業平は花の降り積もる芥川を渡る恋の逃避行を見せます。
同類の曲に「小塩」があります。
主人公は、同じ業平です。前場は、櫻の枝をかついで現れ満開の花の中に迷い出た老人の態で、多分に諧謔飄逸なところもある能です。
後場は花見車に乗っての登場です。
能「右近」では桜の名所、北野神社、右近の馬場での花見の女車を詠んだ業平の歌が一役かっています。
こじつけになりますが、桜を背景にした能「熊野」では業平の母の歌が出てきます。桜は「木の花開耶姫」を象徴する神木とされています。伊勢物語「東下り」の段の杜若の歌を主題にした名曲「杜若」で主人公、杜若の精の化身の女が橋掛のランカンから「色も一入能紫の」と下を見回すと、辺り一面に咲きほこる杜若が現出します。
これらから何となく業平像が浮かんでくるような気がします。

□本曲は世阿弥以前に古作があったようで、世阿弥の「甲楽談儀」に金剛権守所演のことが見え、又喜阿弥の謡の記述が「別本聞書」にあるという。古作は後場が全く異なり、ツレ二条の后、シテ兄基経は鬼の姿で現れ、業平が盗み出した妹、二条の后を奪い返すという四番目、執心物になっています。出典の伊勢物語六段に忠実に作られています。

□ 現行曲は、幽玄優艶な王朝物に改められています。
本曲で舞う舞を「序ノ舞」といいます。
「序ノ舞」は、優美な女性、草木の精や品格のある老人が舞う舞です。
若い男が「序ノ舞」を舞う曲は、本曲と「小塩」の二曲であり、共に業平です。
業平はその優雅さで女性に準ずるということでしょう。

□ 本曲の「クセ」と呼ばれる、恋の逃避行の場面の導入部、「サシ」「まづは弘徽殿の細殿に人目を深く忍び」云々は源氏物語花宴の巻光源氏と朧月夜の内侍との忍び逢いを引用したものです。
光源氏という即に固まったイメージを業平に重ね合わせて、より濃密な場面を作り出しています。
実際にはこの事件は二条の后の入内まえのことです。弘徽殿の細殿を忍び出るなどはなかったことになります。

□本曲には白氏文集、和漢朗詠集の漢詩と古今集、千載和歌集から
九首の和歌が取り入れられています。詩歌の感動をそのまま取り入れるねらいでしょう。
能のセリフ、つまり謡曲は、歌謡を主眼にしています。
能のセリフは七、五調であり、和歌も七、五語です。
又、和歌は古来からわが国の根本の文芸であり、能の作成者は常に和歌を念頭に置いていました。

□ 伊勢物語は在原業平の歌に、業平の華やかな話を添えた歌物語です。
業平の艶麗な生活ぶりは、その情熱的な秀歌とともに語り伝えられました。
これら業平ファン、親族らの手によるものであろうといいます。
業平没後、二十数年後に編纂され古今和歌集の編者の一人、紀貫之も深く関与していると云います。
その後九〇〇年の中頃には今日の「伊勢物語」に近いものが出来、その後平安時代を通じて書き継がれ古歌や業平以外の歌も取り込まれました。鎌倉末期になると注訳書「伊勢物語髄脳」「和歌知顕集」室町時代に入って「伊勢物語抄」が伊勢物語を愛読、研究した歌人達によって著されました。
その後、近世に至るまで膨大な注訳書が書かれました。
その中に武将「細川幽斉」や「後水尾天皇」の名が見えます。

□ 業平は八二五年に誕生、八八〇年五十六才で没しました。
父は平城天皇の皇子阿保親王、母は桓武天皇の皇女伊都内親王で皇族として生まれました。
父、阿保親王は「薬子の変」の政変に連座して太宰府に流されたこともありこのためか兄行平、その他の兄弟と、在原姓を賜り臣籍に下りました。
兄行平は能「松風」の名作でよく知られ、又歌人としても名高い。
業平の没後、まもなくできた「三代実録」に「体貌閑麗、放縦拘ラズ略ボ才学無ク善ク倭歌ヲ作ル」美男、気ままな行い、実直な学問肌の人ではなく歌に秀でている、とあります。
古今和歌集の仮名序に「在原の業平はその心余りて詞たらず、しぼめる花の色なくて匂ひ残れるがごとし」情熱がありすぎて表現が及ばないとあり、実生活も情熱の人であったのでしょう。

□二条の后、高子は清和天皇の妃、陽成天皇の生母です。
当時は摂関政治の確立した時期でした。未来の天皇妃として大切に育てられたのでしょう。
伊勢物語六段、業平が高子を盗み出す事件を起こした時、父藤原長良、一族の怒りはいかばかりだったでしょう。
この事件のため、業平は「東下り」を余儀なくされました。
高子が誕生した時、業平は十六才でした。この事件の時、業平はすでに三十才を超え、平均寿命が短かった当時では分別盛りの壮年であったことになります。
業平像が偲ばれるところです。
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