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12.09
Mon
昔、在原業平が妻を偲び涙を流して渡ったという東国の果ての大河、隅田川。
この物語の舞台です。
このところの雨続きで水嵩がましています。この渡しの渡守は、
そう多くは往復できないので一度に少しでも多く渡そうと旅人を待っています。
旅の商人に続いて、狂女が渡しにやって来ます。
大勢の見物の人を引き連れています。女は都、北白河の人で人買いにわが子を
さらわれて心が乱れ、子を求めてこの隅田川まで下ってきたのです。
女は渡守に舟に乗せてくれるよう頼みます。渡守は、お前は狂女だろう、
面白く狂ったら乗せてやろうといいます。
すかさず女は、隅田川の渡守ならば「日も暮るる舟に乘れ」というべきでしょう、と
伊勢物語の故事を引いて切り返します。女はさらに、水面の白い鳥の名を
渡守に尋ねます。渡守は、あれは鴎だと答えます。女はたとえ鴎であっても、
この隅田川の白い鳥をどうして都鳥と答えないのかと又伊勢物語を引いて
やりこめます。

女はしだいに狂乱となり、東の果てのこの隅田川までやって来て妻を偲んだ
在原業平の心情を思い、我が子を思い、舞い狂います。
心を打たれた渡守は、舟の上で狂うなと念を押し舟に乗せます。
対岸から念仏の声が聞こえてきます。
渡守は向いの岸につくまでにと、人買いに連れられて来た少年が
旅の疲から病になり、この川岸で亡くなった事を語り、今日は丁度一年になるので、
所の人が集まり、大念仏会をしているのだと話します。

世には似たような話があるものだ、くらいに聞き流していた女は、
少年が都北白河の人と聞きだんだん我が子である事に気づいてゆきます。
女は、少年の生地、父の名、少年の年、その名を梅若丸と聞き
我が子である事を確かめ悲嘆にくれます。渡守は、実の母の念仏を亡者も喜ぶだろうと
女を大念仏に加えます。大念仏に唱和して少年の声が聞こえ、その姿が現われます。
女は、「あれは我が子か」と取りすがりますが少年の姿は消え消えに失せてしまいます。
やがて東の空も明けて行き、我が子の姿と見えたのは塚の上の草だったのでした。

□物語の進行を追いながら

後見が柳の小枝をつけた塚の作り物を運び出します。梅若丸の墓です。
中には子方が入っています。最近では、子方の出番の直前に出す事もあります。
ここから能は始まります。

□ワキが登場します。続いてワキツレが登場し、
長い道のりを旅してやっと着いたと述べ、狂女がやってくるとワキに教えます。
向こうにワイワイ、ガヤガヤと見物人をしたがえた狂女の姿が見えます。
渡守は狂女も乗せてやろうと待ちます。

能のワキは劇としての場の設定や雰囲気作りを受け持つのが常の役目です。
この能のワキはシテに伍して重い比重を占めています。
装束は段熨斗目素袍上下(だんのしめ、すほう)です。
身分のない船頭にしては、いかめしい出で立ちですが
シテ狂女と伊勢物語問答する程のワキと考えればうなずけます。
ワキは名乗り笛という笛だけの演奏で登場します。
「この間の雨で水嵩がましたので、一度に多くの人を渡したい」と
言いますが、流儀によってはこれはなく「大念仏があるので多くの人を
集めている」とふれるのもあります。

□シテが登場します。独白のように子への思いを述べ
「カケリ」を舞い、都の女であると名乗り、子を失って狂気となり、子を探して
この隅田川までやって来たと述べます。

狂乱物の能のシテの登場の第一声は、狂乱状態を示す「一声」を謡うのが常です。
この能の「一声」は必ずしも狂乱の「一声」とは思われないところもあります。
演者によって、時によって、狂乱の気持ちで謡うか、子の行方を案ずる
親の心情を述べる気持ちで謡うか、分れるところでしょう。
手にした笹は狂女をあらわします。
続く「カケリ」は狂乱の舞です。舞や囃子に緩急をつけ不安定な狂女の
心の乱れを表現します。「カケリ」を舞い終え、シテは
自分の身の上を語り、はるばるの旅の末、隅田川に着いたと述べ
「着き足」という、足を一歩前に出し、引き揃える型をします。
一つの目指すところにようやくたどり着いたという、象徴的な型です。
これでこの能の導入部は終わり、次の狂乱に続きます。

□シテはワキと伊勢物語を種に問答し「狂い」を舞います。

物狂いは、その場所、時、など折々の事柄を種に、見物の人と
問答し、歌い、舞ったのでしょう。この能は、所は「名にし負う」隅田川、
特上の「ネタ」です。当時、伊勢物語は広く知られていました。
狂いは伊勢物語九段を引いて始まります。渡守の、「狂女ならば面白く狂へ
さもないと舟に乗せない」に狂女は「隅田川の渡し守ならば、日も暮れる、
舟に乗れ(伊勢物語の一節)」というべきなのに舟に乗るなとは、
隅田川の渡守らしからぬことは云いなさいますな」と応じます。
渡守は白い鳥の名を聞かれ「あれこそ沖の鴎(かもめ)候よ」と狂女の
期待通りに答え、狂いを誘発し「狂いの段」へ誘い込みます。
「狂いの段」は、曲中唯一の「型」どころ、見どころです。

 笠に手をかけ「遠く来ぬるものかな」と遠望し、「我が思ひ子はありやなしやと
問えども答えぬはうたて都鳥、鄙の鳥とや(田舎者の鳥)」となじり、
「乗せさせ給え、渡守」と懇願するなど「狂い」らしいリアルな型が連続します。
この「狂いの段」で一区切り、前半の終わりです。
物語は一転して愁嘆場へ向かいます。

□ワキ渡守は、舟中で哀れな少年の話をします。

シテ狂女、ワキツレの商人は舟に乗ります。渡守は、棹を手に、二人の後に立ちます。
能では棹は水棹と櫓とを兼ねます。ここでは、水深のある川ですので櫓でしょう。
渡守は少年の死の経過を語ります。節もなく型もない、日常の会話で語ります。
特に「語り」といいます。
この曲の「語り」は他に抜きん出て秀抜です。
この曲一番の聞き所です。節も型もないだけ、「緩急」「めりはり」など
話術の粋をつくします。
この「語り」の中で、シテ狂女は次第に少年が我が子である事に気付いていきます。
わずかな動きでしだいに高まっていく心の動揺を表現します。

□子の死を確認したシテは悲嘆にくれます。

母親の嘆きは「クドキ」で語られます。「謡い」と「語り」の中間で謡い、
訴える内容の軽重を工夫します。「クドキ」の最後を地謡が謡い
「この塚を掘り返して我が子の姿を見せて下さい」とシテは塚の前に行き
土を掘り返すリアルな型をします。
続いて地謡は、世の無常を詩情豊かに謡います。

□ワキは大念仏の場にシテを誘います。

ワキはシテの首に鉦をかけ、撞木を渡します。地謡は念仏を三返唱え
シテの謡をはさんで三回繰り返し念仏会の盛り上がりを見せます。
 念仏の所々にシテは鉦を打ち鳴らします。鉦の打ち方に心得があるといいます。
地謡の声の中から梅若丸の念仏が聞こえてき、シテ母は鉦を打ち止め、聞き入ります。

□シテは「今一声こそ聞かまほしけれ」と叫び念仏を唱えます。
塚の中から梅若丸の亡霊が現れます。

親子は駆け寄り手を取り交わそうとしますが、亡霊は塚の中に消えます。
母は塚に寄り添いかき抱きます。
作り物の上を左右に分ける型で表現します。両手で顔を覆い泣き崩れる型をして
終曲となります。「シオリ」というこの泣く型は常は片手です。
両手は嘆きの深さを表します。
能が終わったことを示す留拍子は踏みません。
この能の余韻を損なわないためです。

○ 物語の背景

□この能が出来た中世は、人買いの横行した時代だったようです。
この能の他にも人買いを扱った作品が多く残されています。
彼らは買い取るだけではなく、甘言を弄して少年、少女、果ては立派な青年、
夫婦までも誘拐しました。

□母親は子の行方を「行方いづくと定むらん。あら定めなの賴みやな」と
嘆きます。流儀によっては「道行き人に言伝てて行方を何と尋ぬらん」とうたいますが
まったく「アテ」がなかった訳ではありません。
「三井寺、桜川、柏崎、高野物狂」などの曲での子の行き先は、寺院の高僧の
もとであり、「百万」では都の身分のある人のもとでした。
人買いの話ではありませんが、「経正」の僧、行慶は人目もはばからず
平経正を愛し、経正の戦死の報を聞き「夜も日も明けず」嘆き悲しんだと
伝えられています。少年を愛する風習は、当時は珍しい事ではなかったようですし、
僧の戒律にふれることではなかったといいます。
子の行き先には、こうしたこともあったのかもしれません。

□母親はこれらを頼りに「アテ」を探し歩き「アテ」らしき所で「狂いの芸」を
見せて人々から情報を集め、又路銀を得たのかもしれません。
いつの世でも女性の一人旅は危険がつきものです。物狂いは恰好の
手段だったのかもしれません。船頭が「かの者(狂女)を待ち舟に乗せうずるにて候」と
いうように、人々の善意で旅を続けました。いつの世でも善意の人はいるものです。
狂女物に登場する女性は、かなりの知識人であり、上流の人であったことがうかがわれます。
「狂いの芸」は即興の芸だったのでしょうから彼女達の博識、上流の女性の
優雅な姿が身を助けたことでしょう。

□本曲の作者、観世元雅と父、世阿弥との間で子方を出す、出さぬの論議があった事が
世阿弥の「甲楽談義」にあるようです。
現在では「子方あり」の演出が多いようですが「子方なし」の演出もあり、
作り物の中で、子方の声だけ聞かせる演出、子方を全く出さず
子方の謡は地謡が代わる演出があるようです。

□物狂いの能は、失った子や夫を尋ね歩き、ついには再会します。
この「隅田川」一曲だけ、再会したのは我が子の亡霊だったという悲劇です。
この悲劇を終始、しめやかに演ずる行き方もあるでしょうし、又
前場のシテは子の死を知らないのだから、狂女らしく舞った方がよい。
明暗の落差が大きければそれえだけ印象は深いという演じ方もあるでしょう。
演じ方に大きな差のある曲でもあります。
□本曲の梅若丸の供養の大念仏会は、嵯峨の清涼寺釈迦堂で行われた
念仏法要が始まりだといいます。
この大念仏を始めた円覚十万上人は捨て子で、寺に拾われ僧になりました。
大念仏会には常に母との再会を祈願したと伝えられているといいます。

□春日部の満蔵寺、向島の木母寺に梅若塚というのがあり旧跡とされます。
本曲はフィクションですので、後世に作られたものでしょう。
木母寺の縁起には、梅若丸は父、吉田少将、母は美濃国野上の宿の長者の娘
花子とあるそうです。つまり能「班女」の後日譚というわけです。
「隅田川」「班女」狂言「花子」は三部作だという人までいると聞いた事があります。

□伊勢物語第九段

昔男ありけり。その男身をえうなきものに思ひなして、京にはあらじ、東の方に
住むべき所もとめにとて往きけり。―中略―なおゆき々て、武藏の國と下總の
國との中に、いと大きなる河あり、それを隅田川といふ。その河のほとりに群れゐて
「思ひやれば、限りなく遠くも來にけるかな」とわびあへるに、渡守「はや船に乗れ、
日も暮れぬ」といふに、乗りて渡らんとす。皆人ものわびしくて、
京に思ふ人なきにしもあらず、さる折しも、白き鳥の嘴と足と赤き、
鴨のおおきさなる、水の上に遊びつゝ魚をくふ。京には見えぬ鳥なれば、皆人知らず。
渡守に問ひければ、「これなん都鳥」といふを聞きて、「名にし負はばいざ言問はん
都鳥わが思ふ人はありやなしや」と詠めりければ、船こぞりて泣きにけり。

(梅)
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