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12.09
Mon

砧(きぬた)

カテゴリ:
九州、芦屋の某は、訴訟のため上京、三年が経ってしまった。
さすがに留居宅が心配になり、侍女・夕霧を帰し、この年の暮には必ず帰ると伝えます。
 妻は夕霧に空閏の淋しさを嘆き、三年の在京は夫の心変わりであろうと
恨みごとを言います。
 折りしも里人の打つ砧の音が聞こえてきます。妻は唐土の故事を思い出します。
漢の武帝の臣、蘇武は匈奴に使いして捕えられ抑留されます。
故郷の妻子は夜寒に寝覚めがちの夫を思いやり高楼に登って砧をうった。
その心が通じたのか、はるか北国の蘇武の夢に砧の音が届いた、というのです。
 妻は夕霧ともども砧を打ちます。折りしも松を吹く西の風の音が聞こえます。
東の京の夫へ吹き送れと西風に砧の音を託します。
 都の夫から使いが来ます。この暮にも帰国できないとの知らせでした。
暮れの帰国を疑いながら、それでも必ず帰国すると自らの心をも偽り信じてきたけれど
夫の心変わりは本当であったかと落胆し、心は乱れ、ついに死の床につきます。
 妻の訃報に急ぎ帰国した夫は、せめて妻の霊と話をしたいと巫女に梓の弓を
引かせ、霊を呼び寄せます。
邪淫の罪で地獄に落ち、その責め苦に憔悴したすがたで現れた妻は、
夫の不実を責めますが、夫の手厚い法華経読誦の弔いに成仏します。

□「かようの能の味ひは末の世に知る人あるまじ」(申楽談義)と、いったという作者、
世阿弥の円熟期の自信作といわれています。
室町後期から上演が途絶え幕末頃、復曲され、その間、謡物として
伝承されたといいます。
それ故か、謡と演出が、なじまないという指摘もあるようです。
能は代を重ね受け継がれ磨かれて来た芸能という認識からの指摘でしょうか。
この能は、作者のなみなみならぬ情念がことばを尽くして語られています。
演ずる側も見る側も曲趣を捉えるに苦労の多い能なのかもそれません。

□ごく短時間のうちに三つの場面が変わります。
ワキ芦屋の某が侍女、夕霧に帰国を命ずる京都の場面、ワキが退場の橋掛かりを
渡っているうちに、夕霧は帰国の途につきます。
道行(みちゆき)の謡も短く、旅のつらさや、途中の景色、旧跡の様子を
述べることもなく舞台右向こうへ二、三歩出、また、鼓の前へ行き
京から芦屋までの遥かの時空を示し、九州芦屋に到着します。
この二つの場面は、ごく短く、サラリと舞台設定の責は十二分に果たして
冗長をさけています。後の大部分は芦屋の留守宅が舞台です。

□夕霧の帰国は空閨(くうけい)の妻に変化をもたらします。
夕霧は「慰み多き」花の都の香を鄙の住まいに持ち帰ります。
妻の空閨は閨怨に変わっていきます。
二人は砧を打ちます。
砧には蘇武の妻や、北の辺境を守備する兵士の妻達の思いが込められています。
妻はこの砧に思いを託し、夫の心をつなぎ止めようとします。
悲痛な妻の叫びがきこえます。
シテは砧をじっと見つめ、風の行方を見定め、西や東の方角を指し示す方を多用します。
西は妻の在所、東は夫の住む都です。

□「砧の段」は一曲の頂点、見どころ聞きどころです。
室町末から幕末まで、謡い物として磨かれてきました。節扱いは屈指の美文と、
あいまって美しい。
前半は、同類の能と同じようにサラリとはこび、後半、砧を打つ場面で極度に静まり
序破急を逆に妻の悲しみを強調します。
 夫の帰国の延期や妻の死は、ごく簡単に述べられ、高密度の「砧の段」のあと、
清涼感さえ感じられ、余韻が消えません。

□中入後、夫の弔いは悲痛です。
夫の心とはうらはらに地獄から現れた妻は、夫の不実をとがめるという
女の性の悲劇を描きます。
このキリでは、夫への恨みが主題です。
夫の不実を責める強い型が随所にあり、印象的です。
結末は、急転して妻の成仏です。同類の能のパターンを踏襲していますが、
この能にして納まりがよく、余韻がながく残る結末です。
舞台に出された砧台は、妻の恋慕の象徴です。前、後場を通して重い位置を占めます。

□「衣ぎぬの砧の音が、枕に、ほろほろほろほろとか、それを慕ふは涙よなふ。
涙よなふ。」―閑吟集―閑吟集は、室町期の小歌集です。
もちろん能「砧」をもじった小歌でしょう。「衣ぎぬ」は
男と女が逢った翌朝、重ねて脱いであった着物を、おのおの着て別れるという
意、衣―着ぬ、だそうです。
世阿弥以降の成立ですから、世阿弥は草葉の陰で苦笑したかもしれません。
 砧は庶民の女の秋の夜の仕事であり、寂しい秋の風物詩でした。
「和漢朗詠集」、「擣衣」の項に、北の辺境守備に送られた兵士の妻が砧を打つ
切々たる白居易の詩や紀貫之の和歌など、和漢の詩歌が採られています。
この能にはこれらの詩歌がちりばめられています。
 蘇武の説話は、「漢書」や「蛍の光、窓の雪」や「勧学院の雀」で知られている
唐代の教科書「蒙求」にあり、平家物語にもあるそうです。
これらには蘇武の妻が砧を打ったというのはなく、和漢朗詠集の注釈書からのようです。
 この「擣衣」は中世の詩歌人に強い影響をあたえ、
近世では浄瑠璃や箏曲(そうきょく)などにも作られているそうです。

□芦屋は福岡県の遠賀川の河口、玄界灘に面した古代から栄えた歴史の地です。
魚介類も豊富で、豊かな港町です。
能「桜川」の母子は、この地に住んでいたという説もあるそうです。
 源氏物語の玉葛が筑紫から逃げ帰る途中、恐ろしい思いをした響灘は、
玄界灘に重なっていて、ともに海の難所として知られています。
特に冬の季節風は激しく恐れられています。
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