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09.20
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鵜飼(うかい)

カテゴリ:鵜飼
甲斐国(山梨県)を目指す安房、清澄の僧主従が、石和にたどり着きます。日が暮れたので所の人に宿を頼みます。旅人には宿を貸す事は禁じられているが川岸の御堂ならば泊まってもいい、ただし夜な夜な光るものが川から上って来るので、注意するようにと言い置いて所の人は立ち去ります。
闇の中から松明を振りながら鵜使いの老人が現れます。老人は生活のためではあるものの、,鵜使いの面白さに殺生を重ねる罪深さを逑懐します。いつものように鵜を休めようと、御堂に上がってきます。
老人を見た従僧は、二、三年前にこの鵜使いに会った事があり、このような殺生は止めるように諫め、鵜飼も感じ入って我が家に泊めた事を思い出します。
鵜飼はこの石和川の殺生禁断の所で鵜を使い、露見して殺されことを物語り自分こそ、その鵜使いの亡霊であると言います。
僧は罪の懺悔に鵜を使って見せるようにすすめます。
老人は鵜を放し鮎を追わせ鵜使いの面白さ、はかなさを見せます。
やがて篝火も消え、亡者は地獄の闇の中へと帰っていきます。
 僧達は河原の石に法華経の経文を書き付け川に投げ入れ、鵜飼いの供養をします。
やがて地獄の鬼が現れ「地獄は遠くにあるものではない、人間の目前の有様が地獄なのである。鬼も又人の心の中にあるのだ」と述べ、かの鵜飼いは生前、長い間殺生の罪を犯したので、当然無間地獄に送るべきであるが、旅僧に一夜の宿を貸した善行により極楽へ送る事にしたと述べ、さらに法華経の功徳を語り、僧の回国修行のもたらす利益(りやく)を述べ、そのためこの鵜飼いも救われたのだと述べます。
 この曲のワキ僧は日蓮上人であるといいます。
安房の清澄は日蓮が出家得度した日蓮宗の発祥の地であり、後場で法華経の功徳が説かれますが、法華経は日蓮が「法華経に帰れ」と説いた経でもあります。
日蓮一行は安房から海路、対岸の三浦半島に渡り、相模川沿いに現在の国道二十号線、甲州街道をたどったのでしょうか。
この辺りの分水嶺は1000米を越す山々が連なる山岳地帯でこれを越えて、石和に入ったのでしょう。「やつれ果てたる旅姿」と謡うように苦しい旅が想われます。
石和は、甲府盆地の東端にあり奥秩父連山、甲武信岳等を水源とした笛吹川が流れています。笛吹川は支流を集め富士川となり、駿河湾にそそぎます。「石和川」は笛吹川の支流でしたが度重なる洪水で笛吹川に呑み込まれたという。
現在も笛吹川のほとりにこの鵜使いの供養に建てたという鵜飼山遠妙寺があります。
日蓮一行はこのあたりで鵜使いの亡霊に会ったという。
 通常、能の中の狂言の役割は、前後をつなぐ間語(あいがたり)が主で、直接ドラマの中の登場人物となる事は少ないのですが、この曲ではワキと僧と宿の貸し借りをめぐっての問答がありドラマに参加します。狂言特有のセリフまわしに飄逸さを感じますが、かえってシテの出現の不気味な雰囲気を作り出します。
シテ鵜使いは、松明(たいまつ)をかざして現れます。腰に漁師の腰蓑をつけています。松明の一振りで漆黒の闇が現出します。所の人が言う「光る物」の正体は松明だったのです。
松明はきわめて重要な役割を果たします。振り方にも色々と工夫がなされます。松明を振るのは灯心の灰を落すためです。
 闇の中に現れたシテ鵜使いは「鵜舟に灯す篝火の、後の闇路を如何にせん」と嘆くかのように独りごちます。(冥途への暗い道を照らすべき光も殺生のための篝火では照らすべくもない、冥途への暗い道をどう辿ったらいいのだろうか)殺生の罪を犯した者の叫びです。
生活のためには罪も犯さざるを得ない、まさにこの世は憂世なのです。歌占(うたうら)という曲に「いわんや下劣貧賎の報に於いてをや、などかその罪軽からん」というのがあります。貧しい者はその貧しさ故に多くの罪を犯しその罪科は重いというのです。
また梁塵秘抄に「鵜飼いはいとおしや万刧年経る亀殺し、又鵜の首を結ひ現世はかくもありぬべし後生我が身を如何にせん。」亀の肉を鵜の餌にしたのです。過酷な仏教思想にとらわれた中世の人々が思われます。
 鵜使いは僧達に禁を破り柴漬け(ふしづけ、簀巻きにして水に沈める刑)にされ殺された事を語ります。
能の詞章は、節をつけてうたう謡と日常の会話「語り」とで語られます。この凄惨なリンチの場面をこの「語り」で演じます。詞章に強弱、緩急をつけて臨場感を作ります。現在の会話にはない「オコシ」という、言葉にアクセントをつけて明瞭にし、また強調したりする技法を使います。鵜飼いと、これを捕えようと狙う人とを演じ分け、「狙う人々ばっとより、彼を殺せと」、「向後の事をこそ心得候うべけれと手を合わせ泣き悲しめども」など
凄惨なリンチの場面を演じます。
この「語り」のあと地謡が「娑婆の業因深き故」と死者に追い打ちをかけ貧賎の者の罪科をいい、人の霊魂は魂と魄と二つあり、死して魂は成仏しますが罪を犯した者やこの世に恨みを残す者の魄はこの世に止まり迷うと謡います。あまりの惨さです。
 鵜使いは罪障懺悔に鵜を使って見せます。「鵜ノ段」といい、曲中一番の見どころです。
扇を鵜篭に、松明をふりかざし、逃げまどう鮎、追う鵜、時に鵜使い、時に鵜となり舞台いっぱいに縦横に闊達に舞います。
やがて松明は消え、鵜使いの亡心は暗い闇路、橋掛をたどり幕の中、冥途の闇の中へ消えてゆきます。
この鵜ノ段には、多くの型付けが先人の手で残されています。先人がこの曲をどんなに大事にし、工夫したかがうかがわれます。金剛流の得意曲の一つです。
小書に(異演出。曲名の横に小さく書き出される。この名の由来です)「無間」があります。つまり間(アイ)が無いという意味です。「無間地獄」の意も含まれています。早装束になり、三分間程で装束をつけます。笛方に「吹送り」の手というのもあり間を空けない工夫をします。
後見には重い心得があります。三分内で装束をつけます。鵜ノ段の終わりにシテは橋掛へ出て舞い、地謡を残して早めに幕に入るなど、三分間を稼ぎます。
 この曲は攝津、榎並座の役者、榎並左衛門五郎(傅不明)作を世阿弥が改作したものだといいます。世阿弥の申楽談儀に「鵜飼柏崎などは榎並左衛門五郎作なり。さりながらいずれも悪しき所をば除き良き事を入れられければ皆世子(世阿弥)の作なるべし」。他人の作に手を入れ、自作とすることが当時は普通だったのでしょうか。当時は上演の都度、見直し、演出がおこなわれたといいます。この曲の後場は、別作の鬼の能を移したと申楽談儀にあるようです。前場だけでも一曲として完結しているように見えます。後場は「取って付けた」ように感じるのもこのためでしょうか。同類の曲「善知鳥」「阿漕」の見せ場が、後場のあるのに比しこの曲は前場であるのもこのためでしょう。
後場は地獄の悪鬼(強い鬼の意)が走り出、法華経の功徳をワキとの掛合で語ります。
ワキの台詞は地謡が謡います。鬼の豪快な型(所作)が見どころです。
 本曲のワキは日蓮を擬したものだといいます。日蓮は「立正安国論」を著わし、又他宗を破折するに「念仏、無間・禅、天魔・眞言、亡国・律、国賊」と痛烈な批判攻撃をしたことで知られています。
日蓮は、安房小湊の漁師の子として生まれました。自ら「旃陀羅が子なり」と述べているといいます。旃陀羅とはインドでの身分階級の語を訳した言葉で殺生を業とし、生活する者と言う意だそうです。
本曲の作者は、これに想を得たのかもしれません。日蓮は幼少の頃から学問を好み、十二歳の時近くの清澄寺にのぼり後に鎌倉、京、叡山、奈良、等に学びました。三十二才の春、故山、清澄寺に帰り、浄土宗や禅宗を破折する説法を行い、一山を驚かせました。
このため法難に会い清澄を出て鎌倉、松葉谷に草庵を結びました。
この頃、三、四年の間に大風、洪水、大地震、火災、疫病、飢餓、大流星、凶荒と天災地変が続発しました。死人は数知れず、人民は塗炭の苦しみにあえぎました。この惨状を見た日蓮は天変地異の原因と対策の方法を仏典に求め、静岡県岩本実相寺の経藏にこもり一切経研究に没頭しました。その結果を「立正安国論」にまとめ、鎌倉幕府先執権北条時頼に提出しました。
日蓮の生涯にわたる他宗信者、幕府による迫害はこの「立正安国論」が原因でした。
安国論は旅客と主人との十番問答から成り要旨は、国中に満ちた災難は、法然の念仏の邪法の興盛に起因するとし、これを禁断せよと説きました。
又モンゴル来襲の、文永、弘安の役や、内乱、北条時輔の乱をも予言しました。
 立正安国の題意は正法(法華経)をもって万民を安穏にし、現世を仏国土とする、ということとします。死後の極楽往生の前に現世で苦しむ国民を救えと説きました。
日蓮が邪法の代表として破折した法然の念仏宗は現世を穢土(けがれた地)とし、死後の西方極楽浄土往生を人生の目的とせよと説く。
 入滅を予感した日蓮は弟子十人を選び法灯と定めました。十人の中に本曲「鵜飼」の石和巡錫の時、日蓮に随行したという日朗、日向の名が見えます。
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