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09.21
Sat
回国修行の僧が奈良へ行く途中、宇治の里に立ち寄ります。宇治は名所の多いところで、里人に尋ねようと待っています。
やがて僧に呼びかけながら、老人が現れ、僧に数々の名所を教えます。折から朝日山に月が昇り宇治川の光景を写しだします。「山吹の瀬に影見えて、雪さし下す柴小舟、山も川も、おぼろ、おぼろと」、とした宇治川の致景を二人は賞美します。
老人は僧を平等院に誘い案内します。僧は扇の形に残された芝を見て謂われを尋ねます。 
昔、宮戦があったとき、敗れた源三位頼政が扇を敷き自刃した跡であると教え、ちょうど今日がその日に当たるといい「我、頼政が幽霊」と名乗るかと見えて消え失せます。
宇治の里人が平等院に遊びにやってきます。里人は僧に、頼政の謀反のいきさつ、平等院に布陣した事情、頼政自刃のことなどを話し、供養をすすめます。
僧は経を読み夢の中で頼政を待ちます。やがて僧体の頼政が甲冑を着て現れ、この戦で多くの人々が死んでいったが、思えば蝸牛の角の争いのように、愚かなことであったと述懐し読経を頼み、宮戦の模様を語ります。
「治承四年夏、頼政は以仁親王を奉じて挙兵するが、平家方の猛追撃を受け、三井寺を頼むべく落ちて行く。宮の疲労極限に、ひと先ず平等院に休息、布陣、宇治橋の橋板を外し敵を待つ。両軍は川を隔て矢戦を戦う。平家方の田原忠綱は三百余騎を指揮して激流の渡河を敢行、全騎を上陸させる。両軍入り乱れての激戦の末、頼みの強者も討たれ、敗戦を悟った頼政は「埋もれ木の、花咲く事もなかりしに、身のなる果ては、あわれなりけり」と辞世を残し自刃して果てた。」こう語って頼政の霊は、なお回向を頼み扇の芝の陰に消え失せます。

□源頼政は平安後期を代表する歌人藤原俊成に「いみじき上手」と評され、数の勅撰集にも入集、私家集も持つ程の歌人です。この曲の前場の美しい宇治の叙景はいかにもこの歌人にふさわしく、聞きどころです。

□後場のシテ、頼政は専用面の「頼政」と呼ばれる面を掛けます。法体を表す頭巾も頼政頭巾と呼ばれる専用頭巾です。頼政はこの時七十七の老齢でしたが、この面は憤怒を宿した中年の相貌のように見えます。
著名な歌人であり、二度も鵺退治をした武勇の人でした。平治の乱で源氏に呼応して挙兵しながら、後に平清盛側につきました。清盛の信頼厚く官位も破格の従三位に進みました。
こうした環境にありながら、勝算のない清盛打倒の挙兵は全くの謎とされています。複雑怪奇な頼政像から、この面は考案されたのでしょう。平家物語にも、この曲の間語りにも頼政謀反の理由が述べられますが、この能を見るたびに壮烈な割腹をして果てた三島由紀夫を思い出します。

□この能の後場は「働き」「立ち回り」などの舞もなく大半を床几(背もたれのない椅子)にかかって舞います。三井寺に落ちて行く様子、宇治川の両岸に対峙する兵馬のどよめき、田原忠綱の三百余騎の勇壮な渡河作戦を臨場さながらにみせます。能の迫力は舞台狭しと勇壮に舞うだけではないと言う見本のような例です。
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