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09.21
Sat

熊野(ゆや)

カテゴリ:熊野
遠く離れた病身の母を想う美女の憂愁

□平宗盛は遠江の国(静岡)、池田の宿の長、熊野を都に留め寵愛しています。
熊野は故郷の病身の母が心配で度々暇を願い出るが許されません。今日も母を案じてうち沈んでいます。
折しも池田から侍女朝顔が老母の手紙を携えて上京します。
手紙は熊野の帰郷の懇願でした。熊野は宗盛に赴き、共に手紙を読みます。
―文ノ段― 母の手紙には、今年の春の桜をも待たず死ぬのではないかと泣いてばかりいます。
親子は一世の契りと云うのに一緒に暮らせないのは孝行の道に外れています。
よくよく事情を申し上げて帰って来てください、とあります。 熊野は帰国を懇願します。
 宗盛は、だからといって今すぐどうと云う事もあるまい、そう気弱ではいけない、気晴らしにと
熊野を清水寺の花見に伴います。熊野は失意のうちに花見車の人となります。
四条五条は着飾った花見の人の波、花は雲霞、まさに春爛漫です。失意の熊野には爛漫の桜も見えず、
花見の喧噪も聞こえず、ただうち沈むばかりです。
車は加茂川沿いから清水への道をたどり六波羅の地蔵堂、愛宕の寺、冥途に通じているという六道の辻、
火葬場の煙の見える鳥辺山、北斗星を祭る北斗堂、そして経書堂、子が親を尋ねると云う子安の塔をすぎて行く。
これらを見るたびに母のことが案じられてなりません。車はやがて清水寺に着き、熊野はそのまま観音の仏前にぬかずきます。
地主の花の下では酒宴がはじまり、御堂で祈る熊野を宗盛が呼びます。
宴席に連なる人々の接待をせざるを得ない熊野は、つとめて明るく振まい花をめで、
当座(即興の和歌)をすすめ、自らも清水寺からの眺めを謡い、舞います。
熊野は宗盛に酒を勧め、宗盛は熊野に舞いを所望します。熊野はしおしおと舞い始めます。
にわかに村雨が降り花を散らします。熊野は散る花が母の命のように思われ、扇で花を受け止めてまわります。
熊野は一首の歌を詠みます。「いかにせん、都の春も惜しけれど、馴れし東の花や散るらん」
さすがの宗盛も哀れに思い暇をあたえます。
これも観音の御利益と喜び、宗盛の気持ちが変わらないうちにと、花見の宴席からそのまま東国の故郷へと帰っていきます。

□俗に熊野、松風、米の飯といわれる名曲。詞章や、節付け、劇的構成に優れています。
老母の手紙を携えた侍女、朝顔の登場は舞台の展開に含みをもたせ期待感を誘います。
老母の手紙の場面は「文ノ段」と称して聞きどころです。抑揚を押さえた口説き調で切々と訴えます。
人々に親しまれた段でした。 
花見への出発では熊野の胸中との対比を見せます。
「車出アシライ」の急調の囃子に後見が花見車を持ち、走り出ます。
宗盛の急な命令に家来達が慌てふためき、牛がなき騒ぐ様子が見えるようです。
花見車の中のシテはあまり表情を見せません。心の中は重病の母のことだけからです。
春爛漫の街の喧噪や、道中の名所を地謡が軽快に謡い景色が手に取るようです。
クセの前後の詞章は特に絶品です。
クセの後半、シテは静かに立ち上がり、清水の舞台からの眺めを舞います。自ずと体がうごきだした風情です。
宗盛に所望されて舞う「中ノ舞」も心ここにあらざる態で舞います。
熊野の悲しみは極限に達し宗盛に和歌をしたためます。
「短冊ノ段」といい、懐から短冊を取り出し扇を筆にして書き付けます。
涙を誘うところで、演出に工夫の多いところです。
 舞台は熊野の憂愁から急転して喜びの帰郷の終曲へ。
幕際へ一気に駆け抜け、橋掛りをいっぱいに使い喜びを表現します。

□熊野のことは、平家物語、「海道下り」に、一ノ谷の合戦で捕らえられた平重衡が鎌倉へ護送されたとき、
池田の宿の長者が重衡に一首の歌を贈った。重衡が歌の主を尋ねると、平宗盛がこの国の国司だったとき寵愛していた人で、
宗盛が上京のとき都に連れ帰ったが国に老母を残していたので
ーいかにせん都の春も惜しけれどーと読んだ東海一の名人ですと答えたとあります。

□平宗盛は清盛の次男です。温厚で人に慕われた長男小松殿、平重盛の死後、平家の棟梁としと一門を率い滅亡に導いた人と云われています。かなり我が儘な人だったようで、例えば源三位頼政の子、仲綱の名馬「木ノ下」を無理に召し上げ惜しむ仲綱の面当てに公衆の面前で恥をかかせ、後に頼政謀反の遠因になったと平家物語にあります。
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