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09.21
Sat
□険阻な戸隠の山中。満山紅葉の中、岩陰に幕うち廻し紅葉狩の酒宴半ばの妖艶な上﨟風の女と侍女。
平維茂は、鹿狩りへ向かう途中、この酒宴の場に来かかります。
貴女の酒宴に心遣いして馬を下り路を替えて通り過ぎようとします。
女は維茂に言葉をかけ酒宴に誘います。
 維茂は女のあまりの美しさと舞に盃を重ね陶然と酔い伏します。
女は「夢ばし覚まし給うなよ」と言い残し岩陰に身を隠します。女は維茂の命を狙う鬼でした。
 やがて男山八幡の末社の神が現れ神剣を授けます。
 夢から覚めた維茂は身の不覚を恥じ、神剣をおし頂き、身構えると、雷乱れ落ち
天地に響き渡り、烈風吹きすさみ、身の丈一丈、火木の角、日月のように輝く眼の鬼神が現れます。
維茂`は神剣を抜き激闘の末、鬼神を退治します。

□この曲は五番目物、切能と称して、一日の能会の最後に演ぜられる能です。
宗教的、哲学的、又は哀切な内容の能のあと、観客の心をほぐす効果をねらった作品です。
平維茂の命をねらう鬼が鬼女に変身して籠絡し、ついには鬼の正体を現し死闘をくりひろげるという物語で、
前場は情緒的な三番目、鬘物的で情緒性は一級品です。
視覚的にも音楽的にも楽しい五番目物です。鮮やかな舞台転換の妙は比類がありません。
 まずシテの高貴な女性と侍女が登場し、満山、盛りの紅葉の景色を我が身にたぐえて謡います。
 その詞章と節の美しさは古来小謡として愛唱され、昭和天皇の皇后もよく謡われたと聞きます。
 鹿狩りに向かう維茂一行の謡は、武将らしく強吟で謡い、鹿狩りへの期待が明朗闊達に謡われ
見所にも浮き立つ気分がみなぎります。
 女はこの維持を誘惑します。「恥ずかしながらも袂につがり留むれば」と能では珍しい妖艶な型があります。
維持も「さすが岩木にあらざれば心弱くも立ち帰る」と酒席につき「紅深き顔ばせの」
「この世の人とも思われずと、あっさり籠絡されてしまいます。
 酒宴の場はサシからクセ(能の中心部分)で仏説の飲酒戒を引いて、美しい詞章で謡われます。
クセから中ノ舞へ優艶な舞は突然急調となり鬼の片鱗を見せます。
刻々と過ぎる時の流れと共に女の変身が見事です。
 シテが岩陰を擬した作り物に入ると間狂言、男山八幡の末社の神が登場します。
維茂は鬼退治の勅命を受けて戸隠山に来たと説明します。能の本文の中では、維茂は鹿狩りとだけで
場所も険しい山とあるだけです。
維茂も鬼と同じく変装してたことになり、酒宴の場を考え首を傾ける向もあるかも知れませんが能は促われず自由です。
 この前場があって後場の鬼の出現の場面転向がいっそう際だちます。
鬼は「或いは巖に火焔を放ち又は虚空に焔を降らし」と、今時の怪獣映画を凌ぎます。
この鬼は討たれて然るべき邪悪な鬼であって心の負担もなく鬼退治の活劇が楽しめます。

□後シテの面は顰(しかみ)を使います。男の鬼という設定です。
前シテの優女、後シテの男の鬼という想像の落差が面白いところです。
顰はただ邪悪な鬼であり人格を離れた獣的性格を持った鬼です。
 般若を使う流儀もあります。鬼女という設定です。般若は人の情念の形象であり、
ついには成仏得脱の身となるというのが一般的です。曲の理解の相異でしょう。
□戸隠山は長野市の西10キロ程のところにある2000メートルほどの岩峯で、紅葉の名所です。
戸隠宝光社の奥社があり、ここから眺める岩壁の紅葉は見事です。
この戸隠山塊の西にある荒倉山の山中がこの能の舞台であるといいます。
鬼女が維茂に討たれたというところにはキャンプ場があり、立派な能楽堂も建っています。
鬼女達が酒宴を開いた毒の平や鬼女の岩屋なるものもあり、各々案内の看板が立ててあります。
 隣の鬼無里村(きなさ)に鬼女伝説が伝わっています。「都の紅葉という上﨟が戸隠山に流され鬼無里に住みついた。
報復に山賊を働き平維持に討伐された。以来この村を鬼無里と呼ぶようになった」とあります。

□鬼無里村の県道のほとりに維持が紅葉討伐に向かう途次に戦勝祈願をしたという
小社ながら国指定の重要文化財、白髭神社があります。

□平維茂は平安中期の武将で鎮守府将軍。信濃守、出羽介などを歴任しました。
陸奥の豪族藤原諸任を討った説話が、今昔物語にも見え一方信仰深く源信、恵心僧都に帰依したことで知られました。
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