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09.21
Sat

三輪(みわ)

カテゴリ:三輪
◆大和の国(奈良県)三輪山に侘び住まいしている玄賓僧都を、毎日樒(きしみ)、仏前に供える水を持って訪れる女がいます。
ある日、女は僧都に衣を一枚所望します。僧都が衣を与え住家をたずねると「我が宿は三輪の山もと恋しくは、訪ひ来ませ杉立てる門」と古今集の歌を引き、そのあたりですと答え消え失せます。
三輪明神へ日参の所の人が神前の杉の枝に僧都の衣がかかっていると知らせます。
僧都は草庵を出、衣のかかっている杉に行きます。杉に懸っている衣の褄には金色の文字で神詠が書かれていました。僧都が歌を詠み上げると二本の杉の間から妙なる声が聞こえ、三輪明神が姿を現します。そもそも神は濁世の人々を救うため、この世に現れしばしは人と同じ心を持つのだと三輪の神話を語ります。
「大和の国に年久しく暮らしていた夫婦があった。しかし夫は夜だけ通って来る。不審に思った妻がそのわけを尋ねると、実は自分は恥ずかしい姿をしている、昼間はその姿が露わになるからだ。もうあなたとの縁も今夜限りだと云うと、別れ惜しんだ妻は、夫の帰り先を知ろうと、苧環の糸に針をつけ夫の衣の裾に縫い付け、その糸を辿って行く。糸は三輪の神垣の、杉の下枝に止まっていた。こうして妻は夫が三輪の神であることを知った。苧環の糸が三巻残っていたので「三輪のしるしの杉」というのだ」
三輪の神は上人を慰めようと神代の、天の岩戸での舞「神楽」を舞い、「岩戸開き」、の様子を見せます。やがて夜も白々と明け僧の夢も名残惜しげに覚めていきます。

◆後見が杉の作り物を持ち出します。
作り物の上の、左右の杉玉は二本の杉、ご神木の標(しるし)の杉、を表しています。三輪の神前と玄賓の庵が同じ舞台にあり、不自然ですが舞台の都合です。心得て頂くところです。
 ワキ玄賓は桓武、平城天皇が帰依する程の高僧でしたが「世を厭う心深く三輪河のほとりにわずかなる草庵を結び」住んでいたといいます。こうした玄賓の寂寞とした庵のたたずまいが詩情をもって語られ庵を訪ねるシテ三輪の神の化身を神秘的にえがきます。
シテは面、曲見(しやくみ)色無(赤色のない)唐織着流しで、中年の女性で、この場面にふさわしい出で立ちです。
女が所望した衣は、寒さを凌ぐためではなく後に僧都をしるしの杉に導き、女の正体示すためです。クセの、苧環をたどり夫の正体を知る話と対をなしていると見ても味わい深い。
シテは作物の中に入り中入になります。
後見が玄賓にもらった衣を作物の内から外に掛け置きます。
杉の枝に衣がかかっている風情です。シテは作り物の中で装束を改めます。
 シテ、三輪明神は女姿で現れます。頭に頂いた金風折烏帽子が男装を示しています。
クセは三輪明神の神婚説話です。苧環の糸を男の着物の裾に縫いつけ、糸をたどって行くなど説明的ですが珍しい型があります。
 この能では終曲に「伊勢と三輪の神、一体分身」とあり、伊勢の神は「天照大神」で女神ですので三輪の神も神女であるとします。しかしクセでは古事記などの伝承に従って男神です。女神が自分の物語りを男神にして語るという混乱があります。また神は男女、両性を持つという説もあるようです。
クセが終わると、玄賓僧都を楽しませようと、天の岩戸の説話が展開されます。
シテは幣を打ち振り神楽を舞います。
神楽は、日本の神々を主題とした能で舞う、旋律とリズムに特徴がある優美な舞です。
神楽を舞い上げて「岩戸開き」です。作り物の杉の木立は岩戸に変わります。変化に富んだスピード感のある終曲です。

◆三輪の神婚説話は古事記、崇天皇の頃、江談抄、旧事記にあるそうです。
本曲は、俊頼無題抄によるといいます。
「昔大和の国に男女が住んでいた。年を経ても昼間は居ず見ることがなかった。
女がその体を見たいと言うと、男は見ると恐れるだろうがそれでもよければ御櫛笥の中を見よと言って帰った。女が御櫛笥の中を開けてみると小さな蛇が蟠っていた。その男は又来て自分の本当の姿を見て恐れのだからと女に別れを告げるが、さすがに女は別れがたく狩衣の裾に荢環の糸をとじつけ、その糸をたどって行く。糸は三輪の神垣に続いていた。」
今でも三輪明神のご神体は蛇身であると信じられているようで参拝者が好物の卵を神前の杉の根本に供えています。

◆玄賓僧都は、平安初期の法相宗の高徳でした。名聞、利養を嫌い三輪山に小庵を結び隠棲しました。
一族の道鏡が称徳天皇に媚るを嘆き更に遠く伯耆(ほうき)の山奥に隠れました。時には馬子となり、又渡し守となって眞の菩蔀行を修行しました。
たまたま桓武天皇が病を得、宮中に召されました。さすがの玄賓も逃げられないと思い鉢嚢一つを負い、上京し桓武天皇のために祈り病を除きました。
のちに平城天皇の厚い帰依を受け僧官を授ようとしましたが、これを伝え聞いた玄賓は備中湯川寺に逃げました。八1八年寂、八十九歳。
港間の俗説であろうが、越後で渡し守をしていたが弟子に見つかりここも危うしと姿をくらまし以後、行方知れずとなったとも。

◆「岩戸開き」は日本の神話の中で最もなじみ深い神話です。
「天照大神(あまてらすおおみのかみ)の弟神、須佐男尊(すさのおのみこと)の悪行に天照大神は天岩戸(あまのいわと)に隠れてしまいました。たちまち世の中は暗闇となります。神々は岩戸の前で話し合います。
天鈿女命(あめのうずめのみこと)があられもない姿で舞い始めました。岩戸の外のあまりのにぎわいに、大神は岩戸を少し開き、外の様子をうかがいます。待ちかまえていた大力の手力雄命(たじからおのみこと)が大力で岩戸を引き開け大神を岩戸の外に連れ出します。世の中は再び明るくなりました」
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