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09.21
Sat
人買人の手に渡ったわが子、千満の行方を求めて母は故郷、駿河國(静岡県)を出、清水寺に籠もり観世音菩薩に祈願をこめます。祈りながら眠りに落ち入った母にお告げありました。「汝思う子を尋ねば三井寺へ参れ」と。
―中入― 
すでに狂乱となった母は三井寺に急ぎます。志賀の山越えをして我が国の霊鷲山に例えられる比叡山を遙かに拝み近江八景の、唐崎の一つ松、花園の里を過ぎ三井寺に着きます。  
三井寺では折から八月十五夜、講堂の庭に住僧や稚児達が集まって月見をしています。 
三井寺から見下ろす十五夜の琵琶湖の眺めは格別です。粟津の森、鏡山が月にくっきり浮かび、山田矢走の渡し船も客はなくても今にも漕ぎ出す風情です。
能力が後夜の鐘を撞きます。鐘の音のおもしろさに母、狂女も鐘を撞こうとします。寺僧に咎められますが狂女は中国の故事「昔ある詩人が月の詩を作った時、名句が浮かんだが後句に詰まった。そこで名月に向かって心を澄ますと後句が浮かんだ。あまりの嬉しさに高楼に登って鐘を撞きこれは詩狂だと言った。」と寺僧を説き鐘をつきます。
狂女は鐘の音を色々の仏説にたとえて舞い狂います。―鐘の段―
狂い覚めた狂女は和漢の詩歌や夫婦、恋人との別れの時に聞こえた鐘の音の歌をしみじみ思い出します。―クセー
千満は狂女が母であることに気づき寺僧に國里を問うよう頼みます。千満の声を聞いて狂女は駆け寄り寺僧は制止します。千満は住僧に今までのいきさつを語ります。親子は観音の導きと、鐘の縁で再会を果たし相伴い故郷に帰ります。

□能は曲趣によって五つに分類されています。三井寺は四番目、「狂い物」と呼ばれます。「狂い物」は我が子、夫、恋人、主君などを求めて狂いさすらうというのが主題です。舞も謡いも“物狂い”らしく工夫して作られ、作詞作曲されています。分かりやすく共感のもてる親しみやすい、いわゆる面白い作品が多い。これらは「三番目」の後に演ぜられます。三番目物は、男と女の葛藤、心の奥底をえがく作品が多く観能のあと疲れます。あとの“癒し”を狙った作品群と云えます。
□三井寺は“月と鐘”の能といわれ“物狂い”は作能のうえの方便であるとさえいわれます。月や鐘にまつわる漢詩や和歌が随所に引用され、適所に巧みに運用されています。引用された歌の本来の叙景、情景の域を超えてドラマに深みと拡がりをみせています。謡曲文学の優れた特質です。

□能の狂乱はいろいろなことがらに触発された一時的な心の昂揚であるといわれます。あるときは乱れ、あるときは正気ということです。
前場のシテ、母は思いつめた様子で登場し観音のお告げを受けしずかに退場し狂乱の予兆をみせます。後シテの登場から三井寺えの道行、月下の三井寺からの眺望、鐘を撞くことのワキ僧との問答と、次第にシテの心は昂揚していき鐘を撞く「鐘の段」で最高潮となります。こうした心の昂揚の過程でシテは色々な節、例えば強吟という音楽性を抑えた節などを駆使して謡い、自由奔放とさえ見える程に舞います。「鐘の段」では撞き紐を取っ舞い狂乱の山場をつくります。作り物の鐘楼が舞台に色をそえます。一転してシテは狂い覚め、鐘にまつわる詩歌に想いを馳せる「クセ」をじっくり聞かせ、親子再会の終曲に導きますます。正気と狂気を謡い分け、舞い分けます。「狂乱物」の魅力です。三番目物の後に“うってつけ”です。終曲の親子再会は他の曲では比較的サラリ、ですがこの曲では親の子への思いを濃密にえがいています。子の肩を抱き幕に入るのが印象的です。

□能の狂女は我が子、恋人などを探して旅をします。女の一人旅は、とかく危ないこともあったでしょう。また我が子、恋人などの情報を聞くために人を集めて舞い狂う「狂乱」を見せたのかもしれません。能、【隅田川】に「かの者(狂女)をあい待ち、舟に乗しょうずるにて候」とあります。この船頭のように所の人たちは弱い立場の人を助けたのでしょう。
昔の日本人の優しさが想われます。
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