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09.20
Fri
諸国行脚の僧が奈良の在原寺をたずね、在原業平、紀有常の娘、夫婦のあとを偲んでいます。
水桶を手に里の女が現れ、板井から水を汲み香を焚き花を古塚に手向けています。
女は、こうして仏に水を手向けていると月のように心が澄んでゆくとつぶやき、
それでもこうして生きながらえていると昔のことが思い出され執心に促れそうになります。
どうぞ仏様、御手の法の糸でお導き下さいと一心に祈っています。
僧は女にことばをかけ、業平に所縁のある人かと問いかけます。
女は、
「在原業平という人は、今は時代も遠く隔たった人です。所縁のあろうはずはありません。
“昔男”といわれ後世に名を残した人ですので、こうして供養しているのです」と答えます。
僧は女に業平の詳しい話を所望します。
昔、在原業平は長年この石上に住んでいました。
その頃は紀有常の娘と夫婦で、仲むつまじかったのですが、
又河内の高安の里に恋人ができ忍んで通うようになりました。
ある夜、高安の里に通う夫の身を案じて、「風吹けば沖つ白波立田山
夜半には君が一人行くらん―今頃あの怖ろしい夜半の龍田山を夫は
一人越えて行くことでしょう。無事に越えられるでしょうか」と詠みました。
以来、業平は外の女との契りはなくなりました。
二人は隣同士の幼馴染でした。板井の水鏡に顔を並べて映して見たり
袖を掛けたりなどして遊んでいました。
その後大人らしくなり一緒に遊ぶこともなくなりました。
二人は筒井筒、井筒にかけしまろが丈、生ひにけらしな妹見ざる間に」
反歌「くらべこし振分髪も肩過ぎぬ、君ならずして誰があぐべき」と
歌を詠み交わしついに夫婦となりました。
里女のあまりに詳しい話に僧は、女の身分をたずねます。
女は、実は私は井筒の女とも、有常の娘ともいわれた者ですと名乗り
板井の陰に姿をかくします。
夜も更け、僧の夢に有常の娘が業平の形見の冠、直衣を着て現れ、業平を偲んで舞を舞い、
板井の水鏡に姿を映して業平を偲びます。
やがて夜もほのぼのと明け始め、在原寺の鏡が鳴り、僧の夢は覚めてゆきます。

□この能は世阿弥の代表作といわれています。
伊勢物語二十三段をそのまま忠実に脚色しています。
かつて天才能楽師といわれたある人が、よしんば能が滅ぶとしても
この一曲が残れば良い、という意味の話をしたと聞いた事があります。
異を唱える人は少ないのではないでしょうか。
和漢の故事や、和漢朗詠集などの硬質な引用が無く平明な文体で
豊かな情緒は素直に心の中に泌みいります。

□シテの登場歌の、次第からサシ謡、下歌、上歌と、もの寂しい秋の夕暮れの中で、仏への救済を求めます。
シテ「井筒の女」の迷いとは何か。人には、大小の差はあれ、誰でも持っているものでしょうが、
この能の持つ清らかなイメージから、こうした一般的な迷いと解すべきかもしれません。
「クセ」の前の「クリ」「サシ」の謡で、業平が高安の女の許へ通ったことが語られています。
この優しい「井筒の女」に、このことでの苦しみ、悲しみはなかったのでしょうか。
こう考えると、次第の「暁ごとの閼伽(アカ)の水、月も心や澄すらん」や
下歌の「ただ何時となく一筋に頼む佛の御手の糸」が戚々と心の中に染み渡ります。

□次の「クセ」では幼馴染みの頃、思春期の頃の二人のことが語られています。
前の「クリ」「サシ」で述べられている高安の女の「事件」と物語の推移が逆行しています。
「高安の女」の話を浄化してあまりあります。

□室町時代には終曲「キリ」の「形見の直衣身にふれて」の後に
「働キ」を舞うこともあったようです。
「八帖木花伝書」「宗随本古型附」には面も「増髪」とあるそうです。
シテの執心・狂乱を強調する演出でした。
現在では、「昔男の冠、直衣は女とも見えず男なりけり業平の面影」のところに
その名残がわずかに残っています。

□終曲の「キリ」でシテ、井筒の女は、業平の形見の冠、直衣を着て現れます。
一つの人格に、複数を重ね合わせる手法は「杜若」や「鵺」などに見えます。
この時代の人のその感性に驚かされます。
僧の夢が少しずつ覚めていくところでは、亡婦魄霊の姿は
「凅める花の色うなうて残り」と、紀貫之の古今和歌集仮名序に見える業平評を巧みに使っています。
謡曲文学の特徴の一つですが、最も成功した例の一つでしょうか。

□在原業平は平安初期の人で、六歌仙の一人です。
現在では美男子の代名詞として知られています。
平城天皇第1皇子、阿保親王の子で、在原性を賜り臣下に下りました。
伊勢物語の「昔男」としての方が著名でしょう。
伊勢物語は、段数が下がると業平以外の「昔男」もあるそうです。
釋契沖の「勢語臆断」には、本曲の出典の伊勢物語二十三段の昔男は
業平ではないとするそうです。
阿保親王の子が「田舎わたらいしける」筈もなく、又、紀の有常は
業平と同じほどの年令であり、その娘が幼馴染みであるはずもないというのが理由のようです。

□紀有常は紀名虎の子で、業平より10才ほど年上でした。
当時は、藤原氏の繁栄の時代で紀氏など有力氏族が退けられた時代でした。
有常の妹静子の生んだ惟喬親王と業平は親交があったので、有常とも親しかったことでしょう。
有常の歌が古今集に一首採られています。(有常の女の作とも)
父名虎の兄興道の子孫に、紀貫之、友則があります。
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