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09.21
Sat
□巫女に乗り移る神、神と人との異次元の物語。
千疋の巻絹を熊野三社に納めよとの宣旨をうけ、勅使が熊野に下向して諸国からの巻絹を集めます。
都から巻絹を納める男が途中、音無天神に参詣します。折しも冬梅の香りが聞こえてきます。男は心の中で和歌を詠み天神に手向けます。「音無に、かつ咲き初むる梅の花、匂はざりせば誰か知るべき」音無天神で思わぬ時を費やしたため男は納入の期限に遅参してしまいます。勅使は男を咎め縛らせます。
 やがて神がった不思議な様子の巫女が現れ、その男は私に(音無天神)和歌を手向けたために遅参したのです、縄を解けと命じます。勅使は下賤の者が和歌など詠む筈がないと疑います。巫女はその証にと手向けの和歌の、上の句を男によませ、下の句をつけます。勅使の疑いを晴らした巫女は自ら男の縄を解き、和歌の徳を語り婆羅門僧正と行基菩薩が和歌を詠み交わしたことや神々の和歌を教えます。
 巫女は勅使の求めに祝詞を奏上し、神楽を舞います。巫女の神憑りは次第に激しく「高足下足の舞いの手を尽くし」て舞い狂い、やがて神は上がり巫女は正気にもどります。

○ひとこと
  千疋 一疋は反物二反
  巻絹 軸に巻いた絹の反物。当時は超貴重品。この能では折り畳み竹に挟む。
  神楽 女体の神や巫女の舞い。笛、小鼓、大鼓、太鼓の囃子で舞う。弊を持って舞い後半、笛の譜が変わりシテは弊を扇に変えて舞う。リズミカルで雅な舞。 

□この曲は和歌の徳(恩恵)を軸に展開されるドラマ性の高い能です。和歌は古代から行われている日本固有の詩歌で、神をすずしめ、人を幸せにすると古今集仮名序にあり、能の主題の花形の一つです。この曲では「クセ」で和歌の徳が語られます。
 前半の主役は巻絹を納める都の男です。音無明神に敬虔に祈り和歌を手向けます。凜とした寒気のなかに梅の香りが清らかです。男も清らかにみえます。男を責める勅使の怒りが鮮烈です。
 男は下賎の人です。和歌を詠むには和歌四式など、教養なくては詠める筈がないと勅使が疑うのも至極当然です。男は神に救われます。男が神に和歌を手向けたことや、クセの前置きに述べられる「神は人の敬いに依って威を増し、人は神の加護によれり」に拠ってです。
 神は巫女に乗り移って現れます。つまり巫女は神と巫女の二つを持っています。神は男の縄を解き、和歌の徳を述べます。巫女は祝詞を奏上し神楽を舞い神をすずしめます。

 ○ひとこと
クセ 流麗な文辞で綴られ、一曲の中心をなす。室町時代の芸能、曲舞を取り入れた。 
□巫女が舞う神楽と、巫女に憑いた神が巫女から離れる、キリと呼ばれる終曲部がこの曲の見どころです。特に神楽は、通常は途中で笛の譜が変わりますが、この曲の神楽は総神楽と称して笛の譜は変わらず、終わりまで弊を持って舞い通し、神憑りを強調します。  総神楽は重く扱われます。
「不思議や祝詞の巫女物狂」と巫女の神気はいよいよ昂ぶり熊野全山の神々が巫女に憑き、舞い狂い「高足下足の舞いの手を尽くし」と絶頂になり、いきなり巫女は弊を投げ捨て神は上がり巫女から離れます。劇的な結末です。高足下足とは当時の舞いの型(振り)の名称でもあろうか。
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