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09.21
Sat
皇子に頂いた花籠を廷臣に粗末にされて舞う抗議の「狂い」。漢王が死別した最愛の后を、反魂香を焚き呼び寄せた故事の重厚な「李夫人の曲舞」、能の面白さを凝縮した見所二つをもつ狂女物の傑作。
越前の国味眞野(福井県)に住んでいた男大迹皇子(おおあとめのおおじ)は急に皇位を継ぐことになり急ぎ都に上ります。皇子は寵愛していた照日の前に別れを告げる暇もないまま使者に文(手紙)と花筐(花籠)を届けさせます。
たまたま里帰りしていた照日の前は文を読み、皇子との来し方を懐かしみ形見を抱いて里へ帰っていきます。
帝位についた皇子は継体天皇になり都を玉穂の都に定めます。秋のある日、帝は紅葉狩りの御幸に出かけます。
 帝を慕うあまりに心が乱れ物狂いになった照日の前は侍女を伴い玉穂の都へと急ぎます。
田舎育ちの二人は都の方角も分からぬまま、南に渡る雁を道しるべに、南の都に急ぎます。途中、御幸の行列の前に迷い出た二人は廷臣に咎められ侍女が手にした花籠を打ち落とされます。照日の前は狂乱状態となり、廷臣を咎め、味眞野での皇子の思い出を語り今となっては越えられない身分の隔たりを嘆き泣き伏します。「狂い」
 廷臣から、面白く舞い狂うようにと宣旨が伝えられます。照日の前は帝の面前で舞うことを喜び、どの様にして思いを伝えようかとしずかに舞い始めます。舞は「李夫人の曲舞」、漢王が最愛の后、李夫人との死別を悲しみ、その姿を絵に描かせたが思いは増すばかり、ついには反魂香を焚いてその面影を招きよせた故事にわがわが身の慕情を託します。
 帝は狂女が照日の前と気づき花筐のことも思い出し、やがて伴い還幸します。

□この能は「李夫人の曲舞」を見せるために作られたもののようにさえ思われます。この曲舞は観阿弥が漢書や白楽天の詩を題材に作り、その子、世阿弥が前後を作り能にしました。観阿弥は「曲舞」を女曲舞の名手、乙鶴に習い能に採り入れたことでも知られています。

□この能に作者世阿弥はもう一つの見どころ「狂い」を作りました。
冒頭、速いテンポの謡で花筐を打ち落とされたことに抗議して舞います。足拍子は怒りです。やがて謡は静まり皇子の伊勢神宮への信仰をかたります。
謡は再び急調になり身分に隔てられ叶わぬ恋に泣き伏し留めます。

□眼目のクセは三つの場面に分かれています。まず漢王が壁に写した李夫人の肖像画に寄り添い嘆くところを描き、次に物言わぬ肖像画に飽き足らず、反魂香を焚き李夫人の霊魂を呼び寄せる場面、李夫人の寝所にこもり、更に深い嘆きでしめます。
シテは限られた動き、微かな仕種で帝の慕情、霊魂の出現を表現します。静かに舞はじめ次第にテンポを上げ最後に急の位で帝の激情を見せます。
「狂い」「クセ」共に掛けことば、枕詞などの修辞が少なく平易で解りやすく、美しく且つ重厚な詞章です。 
「狂い」「クセ」は鑑賞価値が高くその部分だけを舞う「仕舞」として好んで上演されます

□男大迹皇子、継体天皇は500年前半の天皇で即位の経緯はこの能の通りで日本書紀十七に記載があるといいます。照日の前は架空の人のようです。
クセの帝は前漢第七代孝武帝をさすといいます。李夫人は孝武帝寵愛の夫人で和漢朗詠集などにもあり楊貴妃と並び著名であったようです。
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