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11.04
Sat
捨てられた老女の死の残酷と、抑えがたい人の情念を去り、月の光と共に人の死を清らかに描き、昇華させた至高の名作。

「わが心、なぐさめかねつ更科や、姨捨山に照る月を見て」
古今集、詠み人知らずの歌が典拠だという。
姨捨山は月の名所として古くから知られていた。
山麓の棚田の一枚毎に映る「田毎の月」も知られた名所であり、善光寺も程近く都鄙の人々の憧れの地だったのだろう。

善光寺参りの陸奥、信夫の男連れが姨捨山の名所の月を土産話にと立ち寄る。
中年の女が、今夜は中秋の名月、空も晴れ渡りどんなにか月が美しい事だろうと呼びかけ現れる。女は男たちの望みのままに姨捨の跡に案内し、捨てられた老女達の執心の残る後を共に偲ぶ。
女は住家を問われ「その古も捨てられて、唯一人この山に澄む(住む)月の名の秋毎に、執心の闇を晴らさんと、今宵現れ出でたり」と言葉を残し姿を消す。

更科の里の男が月を見にやって来る。里人は信夫の人達に姨捨の故事を語り、先の女は捨てられた老婆の執心の霊であろう、折しも名月、夜遊をなして待てば再び現れるだろうと云って立ち去る。

信夫の男達はたぐい稀に澄み渡る名所の月を堪能する。
やがて、「かつて見たこともないほど見事な姥捨山の月、その昔の同じ月とは思えない」
と呟きながら白衣の老女が、夢か現か、おぼろ、朧と姿を現わす。
不思議がる信夫の男に白衣の老女は、夕暮れに現れた女だがだと名乗り、さらば月の夜遊を共にと誘う信夫の男に、老いの身は恥ずかしいがここは姨捨、我が住み所であると云い共に草を敷き花に伏して夜遊に興ずる。

類稀な月の光に、話しは月が勢至菩薩と仰がれる所以に及び更に浄土の有難い景色に及ぶ。
老女は浄土の如き景色の中で静かに昔を偲ぶ舞を舞う。
やがて夜も明け旅人は帰って行き、老女の霊はこの山に昔の如く留まり山も昔の如く姨捨の山だった。

前シテは色無し唐織の着流しに面は曲見、落ち着いた美しさだ。
後の白衣の老女の姿を重ねあわせ味わい深い。中入りも情緒深い。深い執心の心の闇をこの山の月の光で清めるため秋毎に現れるのだと、言い残し幕に入る。
後シテの老女は杖を突き白衣を着月光を全身に浴び、白く輝くかのように現れる。
正しく浄土の人。
橋掛かりに佇み、月見の人に呼び掛け、向こうに見える桂の大木が姨捨の跡だと教え、捨てられた老女たちの執心が今も残っているのだと舞台に入る。地謡が姥捨ての情景を情緒深く歌う。

所の者が姥捨て伝説の惨忍を語る。姥捨て伝説は、大和物語、今昔物語、俊頼髄脳などにあると云う。所の者の語りもおおよそこれらの物語の内容を語る。
姨捨伝説の惨忍の部分は、前後の場には皆無と云っていい程であり「捨てられし程の身を知らで、また姨捨の山に出でて、おもてを更科の月に見ゆるも恥ずかしや」とある程度だ。これがこの曲を清浄に透明化している要因でもあろうか。

クセでは月は本持仏としての勢至菩薩であることから説き起こし浄土の景色を語る。
姨捨山は浄土と化す。姨捨山浄土でシテ、姥の霊は静かに「序ノ舞」を舞う。
「序ノ舞」は優艶な舞だが一工夫がある。扇を左に抱き安座して月を見る。舞は浄土の舞となる。

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