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08.13
Sun
平盛久は平家の武将。源平の戦いに目立った軍功を上げたという記録はなく名を残した人ではなかったようだ。盛久は若年から信仰心が厚く清水の観世音を深く信仰したことは良く知られ、同じ清水の観音の深い信仰者であった頼朝の耳にも届いていた。この曲の主題は盛久の厚い観音信仰であろうか。この曲は武人を主人公とする二番目物に分類されるが戦いの場面は全くない。それ故か四番目物とすることもある。

平家滅亡後、盛久は京に潜伏していたが密告により清水寺参籠の帰途捕らえられ鎌倉に護送された。
「いかに土屋殿に申すべき事の候」「清水の方へ輿を立ててたまわり候らえ」盛久は護送の土屋三郎に最後の清水参詣を懇願する。土屋は快諾する。時あたかも春真っ盛り、盛久は見納めの清水の花盛りを心に刻み、再び拝むこともない観音に別れを告げる。盛久の諦観した心中が滲み出て労しい。

輿は歌に詠まれた名所旧跡、歌枕を過ぎていく。己の命を観じて名所旧跡に想を寄せ、輿は過ぎていく。「道行」と云い、我が子など、思う人を探して旅をする狂女物などに作られ、旅の様子を謡ったものだ。盛久の道行の果てには処刑が待っている。「盛久」の道行は処刑という切迫した事実を根底にして作られ、文辞的にも優れた道行だと云われる。
南北朝時代に作られた、盛久が京から鎌倉に護送される旅程の様子を綴った謡物の大作「東海下り」が下敷になっているという。

輿は鎌倉に到着し盛久は処刑を心静かに待ち経を読む。
平家の総大将、平宗盛が捕らえられ、取り調べる梶原景時に号泣して助命を乞うたという事を思えば盛久の人となりが見える。
盛久を訪ねた土屋に盛久は観音の御利益を説く。盛久の深い信仰心が詳しく述べられ心を打たれる。

やがて明け方の鶏が啼き、盛久は由比ケ浜の刑場に引き出される。盛久は西の方角に向かい観音の御名を唱え斬首をまつ。執行人は太刀を振り上げる。
盛久が手にしたお経が光を放ち刑執行人の目を刺し、振り上げた刀を取り落とし、経文「刀尋段々壊」の如く刀は二つに折れる。
報告を受けた頼朝は観音の助力であろうと刑の執行の中止を命じる。
以前、盛久は自ら勧請した千手観音を清水寺に安置することを懇願し許され本尊の脇に据えられた。清水寺では盛久が寄進した千手観音が倒れ腕が折れた。人々は観音が盛久を助けに行ったのだと観音に手を合わせたという。

頼朝は盛久を召し出す。頼朝はこの暁、夢を見た。盛久も同じ夢を見たであろうという。
夢は「香染めの袈裟をかけ数珠を爪ぐり鳩の杖に縋った老人が現れ私は東山、清水の辺りからお前のためにきたのだ。おまえの人に越えた深い信心がおまえを救うだろう。安心しなさい、私がお前の命に代わってやろう」
頼朝は酒宴を催す。盛久は鎌倉にまで聞こえた舞の名手だった。頼朝は盛久に舞を所望する。盛久は喜びの舞を舞い「長居は恐れあり」と早々に退出する。

頼朝は盛久を赦免し更に伊勢ノ国の盛久の旧領を返し安堵したという。同じ信仰を共有する頼朝の温情だろうか。
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