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09.20
Fri

鉄輪(かなわ)

カテゴリ:鉄輪
市井の女の嫉妬を赤裸々に描いた鬼気迫る作品。

洛北の山奥、ひっそりとした貴船神社に丑刻詣をする女がいます。
女は下京の人、自分を捨て後妻を娶った夫を呪詛しようと貴船に通っているのです。
 社人に神詫がありました。「鉄輪の三つの足に松明(たいまつ)を灯し頭に戴き、顔に丹(赤土)を塗り赤き衣を着、怒れる心をめされよ」。女は神のお告げのようにしようと立ち上ると見るや、女の様子は一変し、顔色は変わり、髪は逆立ち、あたりに黒雲がおおいかかるや、雨が降り、風が吹き、雷鳴の中を走り帰ります。
 女の夫は、このところ悪夢に悩まされるので、安倍晴明をたずね占ってもらいます。
晴明は男の顔つきをみるなり、占うまでもなく女の深い恨であり、ことに今夜限りの命であると見立てます。男は驚いて、女との顛末を話し、転じかえの祈祷を頼みます。
清明は三重の高棚に五色の弊を立て、夫婦の形代を置き、あらゆる神仏、九曜、七星に肝胆をくだいて祈ります。
 やがて御幣がざわめき、あたりに妖気が漂い、稲妻、雷鳴の中に女の生霊が現れます。女の生霊は、夫に愛の末の恨みを綿々とかき説き、後妻の髪をつかみ打ちすえ、夫の命を取ろうとしますが、夫の身辺には三十番神が守護しています。
ついには「魍魎鬼神は穢らはしや。出でよ出でよ」と追い立てられ又、機会を待とうと声だけを残して消え失せます。前、後場を通して痛ましいまでの女の業を描きます。後場の鬼は心の奥に潜む恐ろしい人の性の形象「心の鬼」でもあろうか。

□この能を敬遠する人がいます。とくに女性に多いようです。あまりに生々しいからでしょう。
上演頻度の高いことから見ても、敬遠する人の心情とは裏腹に、人気曲の一つであることは間違いないでしょう。
 シテの女は下京の人です。下京は二条通り以南で、中小の商人の地ですから、このシテは市井の女ということになります。市井の女の嫉妬に焦点をあて、生々しく写実的に描きます。能という大まかな見方からすれば能らしからぬ能であり、変わった能です。その分、緊迫した舞台です。
能は演技に制約の多い芸能です。時にはこの能のように、写実性のある能に、観る人も演者自身も興味を持つのかもしれません。
 ワキは時代を超えたカリスマ、安倍晴明です。シテは清明の祈りに現れる生霊ですが、その生々しさは現し身です。
女の鬼の能には外に「葵上」「道成寺」「黒塚」などがあります。「葵上」は、源氏物語を素材に、高貴な女性の嫉妬を描いており道成寺の眼目は乱拍子、急の舞、鐘入り、であり「黒塚」には、糸繰り車をくりながら人生の苦しみ、悲しみを情緒豊かに描く前場があります。鬼は副弐に思えたりします。
この能の後場の面は「生成」又は「橋姫」です。いまだ鬼になりきらない、鬼への過程の顔だといいます。名の由来は、そのまま面に現れ凄まじい。

□神託を聞いたシテが「さあらば帰りて我が姿、神託の如くなるべし」と被った笠を取ると、その顔の形相に恐れ、間狂言は「恐ろしや、恐ろしや」と逃げ帰ります。シテにも社人の間狂言にも心得のあるところと聞きます。
「言うより早く色かわり、色気、変じて今までは美女の容と見えつるが緑の髪は空さまに、立つや黒雲の」と立ち上がり笠を投げ捨てるなど激しい憤怒(ふんぬ)を見せ、鬼へ変身の予兆を見せます。前場のみどころです。
この場面の鬼への変身の予兆は、後シテの面、「生成」「橋姫」が能に不案内の初心者でも納得です。

□この能の出典は平家物語「剣巻」だとします。一般読者向けに出版されている全集本の「剣の巻」には「橋姫説話」はなく平家物語の別本、「源平盛衰記」にあります。
平家物語の異本、別本の多さは比類がないそうで「読み本系」と「語り本系」の二つに大別されるそうです。
「源平盛哀記は、読み本系を集大成したような作品だが、近世以来独立した別個の軍記物として流布した」と「源平盛哀記」の解説にあります。

□源平盛哀記の橋姫説話は四十八巻の巻頭にあります。
 源氏の祖、多田満仲が打たせた剣の説話で、源氏累代の武将と満仲から伝えられた剣とのかかわりが述べられています。
賴光の項に「嵯峨天皇の御字に、或る公卿の娘、余りに妬み深うして、貴船の社に詣でて七日籠もりて申す様、帰命頂礼貴船大明神、願はくば七日籠もりたる験(しるし)には、我を生きながら鬼神に成してたび給へ。妬しと思ひつる女取り殺さん、とそ祈りける。明神、哀れとや覚しけん、誠に申す所不便なり。実(まこと)に鬼になりたくば、姿を改めて宇治の河瀬に行きて三七日漬(ひた)れ、と示現あり。
女房悦びて都に帰り、人なき処にたて籠もりて、長なる髪をば五つに分け五つの角にぞ造りける。顔には朱を指し、身には丹(に、赤土)を塗り、鉄輪を戴きて、三つの足には松を燃やし、続松(たいまつ)を拵へて両方に火を附けて口にくはへ、夜更け人定(しずま)りて後、大和大路へ走り出で、南を指して行きけるに、頭より五つの火燃え上り、眉太く、鉄漿(かね)にて、面赤く身も赤ければさながら鬼形に異ならず、これを見る人肝魂を失ひ、倒れ臥し、死なずといふ事なかりけり。
斯(かく)の如くして宇治の河瀬に行きて、三七日漬りければ、貴船の社の計らひにて、生きながら鬼となりぬ。宇治の橋姫とはこれなるべし。さて妬しと思ふ女、そのゆかり、我をすさむ男の親類境界、上下をも撰ばず、思ふ様にぞ取り失ふ。男を取らんとては女に変じ、女を取らんとては男に変じて人を取る。」
女は後に一条堀川の戻り橋で渡辺網を襲い片腕を満仲伝来の剣で切られ、主の頼光は安倍晴明を呼び、この事件の処理を占わせたとあります。

□安倍晴明(921~1005)は古代の豪族、安部氏の末裔で平安中期の人です。陰陽道の祖とわれ、天文、地理に通じ、占断、呪術の達人といわれた人です。
 識神(しきがみ)を使い、あらゆることを未然に知ったといいます。
識神(または式神)は、陰陽師の命令に従っていろいろな物を動物に変えたり、遠隔地のできごとを見聞きして報告したり、呪詛、調伏も行う鬼神の類だといいます。
清明は識神使いの達人であったとします。貴族の信頼が厚く、陰陽博士、天文博士の官位を得、さらに従四位下まで位を進めたといいます。
陰陽師が昇殿を許される位まで昇叙されるとは信じ難いことですが、とかく伝説の多い人だったようです。
 清明の母は、信太森の妖狐であったと信じられていました。玉藻前を調伏したのも晴明であったといいます(能、殺生石では、清明七世の孫、泰成)。
 著書に占事略決があります。清明の子孫は陰陽道を家学とし、土御門家と称し、江戸中期に陰陽道、神道を習合した土御門神道をたてました。
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