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12.17
Sat
芭蕉は古く中国から渡来した植物です。変わった姿が目を引きます。葉が変形した太い幹は高さ五メートルにも及び細長い団扇状の大きな葉を数枚四方に広げます。夏、腕のような奇怪な花茎を伸ばし数十個花を咲かせ実をつけます。実をつけた木は寒風に吹かれて枯れ朽ち果てます。この異様な植物の風貌に作者は人の姿を見、人の世の無常を重ねて見たのだろうか。
唐土、楚国の小水に芭蕉の精の伝説があり、舞台を唐土としたというが異国を思わせない中世の日本人の精神生活を思わせる能です。

荒れ果てた庵に山居の僧が夜な夜な読経する毎に人の気配がします。不審する僧の庵の前に中年の女が佇んでいます。
女は、吹き下ろす風が芭蕉の葉を吹き破るのを見て、我が身の行く末をおもい、深遠な法華経の教えを思いながら仏縁を結ぶ事をしなかった我が身の悔やみを呟きます。
僧が女の身分を訪ねます。女は僧の読経を聴聞して結縁をむすびたい、庵の中に入れてほしいと懇願します。僧は女が庵に入る事は出来ないと断ります。女は、同じ小水に住むのも前世の因縁であり、庵の内は共に宿る一樹の陰のようなものではありませんかとさらに懇願します。僧は経を読む間だけと女の入室を許します。
僧は法華経、薬草喩品を読みます。万物はその中に真実を持っていて、その相を表しているのだ。峰の嵐も谷の水音も仏事をしているのだ。草木までも「柳は緑、花は紅」色や香までもそのまま成仏するのだ。
仏法をよく理解しているように見える女を不審に思う僧に、女は人の身に生まれることが難しい、その人間だとお思いでしょうが、「雪の中の芭蕉の偽れる姿の誠を見えばいかならん」」と言い残し所行無常と鳴る鐘に女の姿は消えていきます。

所の人が法華経を聴聞に僧の庵を訪れます。僧は女が残した謎のような言葉「雪の中の芭蕉の偽れる姿」について尋ねます。所の人は詳しくは知らないがと前置きして、
「時の帝は芭蕉に好きであった。著名な詩人であり、画家として聞こえた王維に冬の芭蕉を描けと命じた。芭蕉は、冬は枯れ姿を留めない。王維は困惑したがお王命には逆らえず雪中の芭蕉を空想して描いた。即ち「偽れる芭蕉の姿」だったのだ」

僧は所の人の話から女が芭蕉の精であることを悟り読経を続けます。
やがて僧の前に芭蕉の精が姿を現し、風に吹かれてほころびた袖を見せ「花が咲き、色を発し香りを放つ。風が吹き草木がそよぐ。四季が移り草木が姿を変える。これらはみな諸法実相を表しているのだ」こう語り、世の中のことを見聞きしても世の無常を思はないのが人心なのだ。だが人は何事につけ物思いに沈む。このような人を思い舞でも舞いましょう、芭蕉の精は静かに舞を舞いはじめます。
舞が進むにつれ芭蕉の精の袖は翻ります。その芭蕉の袖は風を呼び庭の草や花が靡きやがて山颪を呼び、花も草々もちりぢりになり芭蕉の葉は破れ女の姿も消えてしまいました。

この能にはドラマがありません。然しながら人を引き付ける何かを持った曲です。何かとは何か。少し古い話ですが今は故人となった著名な能楽師がこの曲のクリを例に引いて、解説を聞いても難解である。まして節をつけた謡を聞いて理解は不可能に近い。
だが何か重い感動が伝わる能だ、能にはそうした要素もあるのだという様なことを聞いたか読んだかしたことを思い出します。その例が次の句です「夫、非情草木と言っぱ、誠は無相真如の体。一塵法界の心地の上に、雨露霜雪の形を見す」
(そもそも非情の草木というのは実は固定の様相を持たない真実の本体であり一微塵のなかに全宇宙を含むという心をもって、水が雨露霜雪の形を見せるように草木はその時々によってさまざまな姿を見せるのである)
クセはこのクリを具体的に自然界の現象を上げて説明します。型はクセの定型の型で詞章も自然界の現象を謡いますが、詞章も型も緩急を重くして曲の内容を伝えます。
この曲は作者は金春禅竹、ドラマを要点に絞り人を理解の外の感動に導くきます。
夢幻能の最も進化した形だと評する人もいます。禅竹の若年の作品で、仏教えの傾倒が著しい時期だったのでしょうか。
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