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09.24
Sat

芦刈

カテゴリ:芦刈
いつの世でも変わらない夫婦の情愛をえがくドラマ性豊かな作品。
貧困に窮した夫は妻を離別し難波の浦で名物の芦を売る、零落の生活を送っています。
離別された妻は京の、さる高貴の家の乳母となり裕福の身とりましたが、夫の身を案じ嘆き暮らしています。妻は主人の勧めに夫との旧居、難波の里に急ぎます。
夫、日下左衛門は風流人に芸を見せ難波名物の芦を売って細々、命をつないでいます。
今日も難波の浦に姿を見せます。妻の従者が、輿の中の都人に見せたいと芦を所望します。左衛門は従者の風流に感じ芦についての様々を語り謡います。従者は音に聞こえた名所、御津の浦の所在を聞きます。御津の浦は程近かく、折しも漁師の網船が漕ぎ寄せ、櫓を漕ぐ賑やかな掛け声まで聞こえてきます。興に乗った左衛門は、歌に詠まれた難波の浦の景色を謡い舞います。左衛門の舞心は高潮し笠尽くしの舞に及びます。
この段を「笠ノ段」と云い、曲の中心をなす見どころです
「難波の花といえば梅、その梅の花笠、カササギの翼、月に架かる輪は天女の衣笠。難波の女は驟雨に会うと袖を被り、又は両手を頭に載せ雨を防ぐ、それは袖笠、これは肘笠。難波の芦は波に揺れ向こうえザラリこちらえザラリ、まるで風に煽られる古簾」簾は多く芦で作ります。
この舞の終わり近く「難波女の被く袖笠、肘笠、、、」から独特の緩やかなテンポ、リズムに変わり舞も独特な型を連ね一層華やぎます。当時の市井の芸能を取り入れたか 又は似せて創作したのでしょう。能「花月」や「放下僧」の小歌によく似ています。

輿の中から妻が芦を一本と所望します。左衛門は「芦を持ちて参りて候」と輿の中を見、慌て逃げ去ります。輿の中の女は我が妻だったのです。
妻はあばら家の夫に呼びかけます。零落した身を恥じる夫だったが、やがて二人は想いを語り合い歌を詠み交わします。
二人の掛け合い、問答は歌垣を彷彿とさせ、見る人聞く人の心を温めます。
夫、左衛門は、歌は男女の仲をも和らげると古今集の序にもある、我らが再び回り逢ったのも和歌の徳だと、和歌を賛美するクセを謡い舞い、喜びの舞「中ノ舞」を舞い、打ち連れて都に上ります。

この能の出典は大和物語だと云います。左衛門の零落した姿を「芦荷ひたる男の、かたい
のようなる姿」、乞食の様な姿としています。能ではたとい乞食でも乞食の姿にはしません。左衛門は零落れる前の姿で登場します。能はあくなき“美”を追求する芸能だからです。
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